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島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
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fuckin_sky_crawlers.JPG

「スカイ・クロラ」を観る。


押井守の作品群には幾つかの通底するテーマがある。いわば作家性と言い換えてもいいが、例えば「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」では戦争と平和、「攻殻機動隊」「イノセンス」の攻殻二部作においては「私とは何か」、もしくは「人と機械(人形)を分かつ明確な懸隔はどこにあるのか、ていうか、そんなものがほんとうに存在するのか」、というデカルト的、というよりもフィリップ・K・ディックの「反応機械」的な命題、などの原始的かつ普遍的な人間哲学・生活哲学がいちいち崇高に、ときに高踏的なまでに深耕され考究される。彼の衒学趣味とそれに対する是非は別として、その諸作品で援用される有史の先学の名言とそのチョイスがそのテーマをことさらに顕揚しているように見える。だからこの「スカイ・クロラ」でも戦争と平和とかキルドレの自己同一性の問題とかもそういった文脈の上に継起しているテーマのように思える。

 
しかし、仮にあなたがそう考えているのだとしたら、それは押井守作品の本質を見誤っているのだ!押井守の作品群に底流する最大のテーマとは、「人生設計のプライオリティを、複数の順列から選び取ることは許されるのか」、つまり、「結婚して普通に子どもを作り家族を持つことだけが人生なのだろうか」、という中年・壮年期男性の精神の叫にも似た庶民的な人生哲学であり、押井守がその作品において描出する登場人物の人生とは常にその思考実験の諸相であり、その作品の結末とはつまり押井自身の所見に他ならない!これは言い換えれば押井守の中二病だ。

 
 
例えば「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」は南雲と柘植の残酷なまでに美しいラブストーリーだったし、「攻殻機動隊」にはツマハジキ者、世間一般と折り合いが悪いアウトサイダー同士(草薙素子と人形使い)のセックスというサブテーマがあった。「イノセンス」もやはり世間一般と折り合いが悪くて郊外のセーフハウスに飼っている犬だけが家族と言う極度の厭世家を狂言回しに、最後は9課でほぼ唯一所帯を持ってマトモな人間生活を営む同僚の娘とフランス人形の見分けがつかない!という極めてデカルト的かつフィリップ・K・ディック的なオチによって物語の掉尾を飾る、実に中二病的な映画であった。そもそも「パトレイバー2」なんて「軍用ヘリコプターに乗って東京を爆撃したい!」という小学生ワールド全開の欲求を実現するために作ったとしか思えない映画だったから、押井守の作家性はもはや小児病的とすら言えるかもしれない。

 
 
押井守のルーツは70年代前半の全共闘にある。彼の作品の根底には常に、社会全体に対する懐疑と批判精神が胚胎している。その表出の一例がつまり、「平凡な家族生活」という普遍的なコモンセンスに対する反駁である。
 
「子どもを作って家族を持って仕事して死ぬのが人間の総てか?」という壮大で広漠たる疑義に対する、極めて鋭敏にして情動的なまでの問いかけこそが押井作品のもうひとつの要諦なのだ。



 
 
さて、この「スカイ・クロラ」においても、軍産複合体の究極とも言える「軍隊の民営化」以降、私企業が戦争を代行するという世界観が人間のルサンチマンを前提としたニーチェ的なものだ、とか、キルドレが抱える「子ども以上大人未満」という懊悩が実に楳図かずおの「わたしは真悟」的だ、とか、いろいろなテーマがあるように見えてそれらは全部どうでもいいことのように私には思える。この映画もまた押井守の中二病映画だからだ。
序盤から軍服萌えや戦闘機カッコいい!とか「タバコ吸わない上司は信用できない」とか重度の中二病罹患者の妄想が炸裂していて赤面の至りだが、最大の中二病はキルドレという設定そのものである。彼らはバイオ・ケミカル産業の副産物として生まれた「大人になることが出来ない」ひとたちなのであるから。生物学的に保障されている永久未成年など究極のピーターパン・シンドローム、究極の中二病であろう。
 
彼らは下手したら永遠に生きつづけるから死ぬことによってしか自らの生を実感できない(「死ぬなどということは、生きているものにしか出来ない芸当である!」by荒俣宏)。だから「戦争企業」に就職して闘って散華するしかないが、死んでも企業様がパイロットとしてのスペックを経験値として維持していくために「未来惑星ザルドス」のように再びこの世に転生してくる。このジレンマがサブテーマのひとつになっているように見えて、実はやっぱり押井守的にはどうでもいいのだと思う。思春期から成人に至るまでのモラトリアムの中で戦闘機に乗って文字通りの戦争ごっこをしながら過ごし、そしてそれが永遠につづくのだから(しかも飲酒も喫煙もセックスもやりたい放題だ)、「スカイ・クロラ」の世界はまさに総ての中二病患者の理想のワンダーランドに他ならない。しかも、そんな永久未成年なロストック社のパイロットたちの前に現れる強敵の名前は「ティーチャー」なのである。
 
 
「大人になんかなりたくないよ~~」とか、「先公うぜえ」とか、「タバコ吸ってるおれ、カッコいい!!!」とか、中二病患者のあらゆる妄想がここに忠実に映像化されている。はいは~い、「スカイ・クロラ」ランドはこちらですよ~!!!カッコいい戦闘機がありま~す!バイクにも乗れま~す!冷蔵庫開けたらビールいっぱい入ってま~す!なんかアメリカっぽいダイナーも荒野の真ん中に都合よく建ってま~す!しかも上司はかわいい女の子で~す!
 
 
・・・そういう意味で「スカイ・クロラ」は中二病を罹患する総てのボンクラどもに捧げられたファンタジーだ。この映画は自分が重度の中二病患者であるかどうかを計測する測鉛なのだ。

しかしその分、問題はより深刻である。押井守はいままで「平凡な家族生活」とやらがあたかも人類の理想の人生哲学であるかのように捏造する社会に対して、「そんなの間違ってる!!!」と反駁する作品を量産してきた意味でその中二病は軽微なものだった。中二病的な理想を前提にあーだこーだと批判的に長広舌を振るう物語、という批判装置としてそれは有効だったから、そもそもの彼の中二病性などは特に問題ではなかった。
しかし、この「スカイ・クロラ」で押井守はそれらを通り越して「究極の中二病ワールドを作って、そこで現実逃避する」という最悪の選択を犯してしまった。いわゆる精神分析における陽性転移のようなものだ。中二病患者である自らを客観視することが出来なくなり、POVで切り取られた倒錯的で腐敗した風景を幻視したかのようなこの作品はその意味で中二病患者の心理状態のドキュメントと言えるが、それは要するに押井守の自らの中二病に対する自覚がここで完全に欠落してしまったことを意味する。自らの抱く理想が実社会では実現が困難な幻想であるからこそ軽度の中二病は実社会への嘆息の印象批評となり、批判装置と成り得る。しかし観測者がひとたび「実現が困難な幻想」という自覚を失くしてしまえば、それは凄惨な内宇宙への埋没となる。もう実社会で闘うツールとは、成り得ない。

「スカイ・クロラ」の唯一の救いは、主人公が「ティーチャー」とのドッグファイトを挑んだ末に敗北し、戦死することである。結局、中二病的幻想は実社会の教室内における権化である「教師」の前に敗れ去るのだから、これはかなり自虐的な結論ということになる。主人公がこのときに「ティーチャー」を「my father」とパラフレーズしていることも重要だ。自らを生み出し育ててきた環境=実社会に対する反駁の思念の萌芽を中二病とするならば、実社会に適応し何らかの形で克己して篭絡されることは自らの父親の軍門に下ることを意味する。押井守は地獄の中二病仮想空間の中に現実への退路を残したのだろうか。
しかし、そうとも言えない。
生の記憶を年輪のように積み上げていくことで逆に生への実感が希釈され淘汰されていくキルドレにとって死という選択は最高の快楽である。J・G・バラード流に言うなら草薙と函南が拳銃でセックスするように、「ティーチャー」を相手どってプレーする生と死を巡るゲームはいわば究極のオナニーである。別にキルドレは死を敗北だとは思っていない。(反対に、生を勝利だとも思っていない。)
もちろん、ザルドス、否、ロストックの意思によってキルドレは何回も転生するから、死によって永劫回帰を果たしたように思えてもまた「実感のない生」のサイクルを繰り返す意味で罰ゲームはつづいていくように思えるが、やはり「ティーチャー」ともう一度ゲームをしてリセットする権利は保持されるわけで、中二病オナニーは永遠につづいていくのである。
ちなみに、キルドレにはザルドスにおける「加齢」のペナルティもない。性欲はあるから、厳密な意味での去勢を受けているわけでもない。 


 
このように「イノセンス」以前の実社会への反発というスタンスが、実社会から画された理想の世界に閉じこもって夢想しながら安寧を貪る、というものに堕してしまった、という意味でまさしく「スカイ・クロラ」は押井守の作家性のドラスティックな変節点であり、歴史的な作品であると言える。
しかし、まあ、自覚症状のない重度の中二病がもたらす脳内思想ドラッグの無限注入とそれによる酩酊感は気持ち良いかもしれないが、現実を闘うツールという意味では、まったく、使い物にならないし、そもそも夢は遅かれ早かれ覚醒するからこそ夢なのであり、キルドレの輪廻のように無限につづくものではあり得ないから、幻想から覚醒したときの禁断症状とリラプスとの戦いに打ち勝つツールにもなり得ない。
何度も言うが、中二病は軽微ならば社会を批判する目を養い、そして現実と闘うツールと成り得る。しかし、重度に進行し自覚症状が散逸していくとたちまち幻想が脳を篭絡し、現実と戦う力は失効する。それを選ぶ権利はもちろん個々人にのみ与えられているが、まあ、愚にも付かないファンタジーにうつつを抜かすのもタイガイにしたいものである。



 
 
その他の感想を以下、箇条書きで。
  • とはいえ、アニメでここまでセックスを直接描いた作品は他になかったから、そこは評価していいと思う。
     
  • 草薙水素が意外と尻軽で萎える。おれの中の水素は、そんなんじゃないッ!と思ったやつはおまえも中二病だ。
     
  • 主人公がなんだかんだでオイシイ思いをしていてムカツク
     
  • 水素が泣くシーンは、声優の演技力などを勘案しなくともダメダメだったと思う。物語があそこで飛躍する必要もあったかどうか。押井守の演出力、構成力の負の部分が出た感じ。大いに減点。
     
  • 川井憲次の音楽はやっぱり良い。作品とは別にやっぱり良い。
     
  • エンドクレジットのあとのラストシーンはどう考えても蛇足だと思う。
 


あと、芸能人を声優に使うのやめろ。こっちは金払ってるんだから、プロの声優を使え。菊池凛子は俳優としては良いかもしれないが、少なくとも声優としてはまるでダメだと思う。スタジオ・ジブリもそうだが、頼むから俳優や芸能人を声優に使うのやめろ。マトモな声優を使え。


 
 
 
 
 
 
 最後に。
以上の私見に対して、「だってあんたの好きなゾンビ映画や『バッド・テイスト』も、中二病の妄想の映画化そのものじゃん」という反論もあるかもしれない。しかし、ゾンビ映画や「バッド・テイスト」は<おしゃれなジャズ>とか<大人のラブストーリー>とか<崇高な人生哲学>とか<タバコ吸わない上司は信用できない>とかいうブラフとは無縁である。「スカイ・クロラ」はボンクラであることを百方手を尽くして隠蔽しようとしているから醜いのだ。その点、「ゾンビ」や「死霊のえじき」や「地獄の門」や「バッド・テイスト」はナチュラル・ボーン・ボンクラ、開けっぴろげに堂々と「ボンクラ映画で~す!!!」と主張しているから潔い。
 
 
 
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無題
「スカイ・クロラ」は押井監督の映画作品ですが、森博嗣原作だということは考慮に入れているのですか?
さくま 2010/02/21(Sun)07:41:40 編集
無題
あー、確かにそうですね。森さんの原作を読んでいないので何とも言えないのが申し訳ないですが、確かに「スカイ・クロラ」を押井守の個人的な作風の中に包摂してしまうのは乱暴だったかな、という気がします。脚本も押井ではないし、押井本人もオファーには消極的だったという話ですから、押井守の作風の変節ではなく、新境地というかバリエーションという感じで解釈する方が適切だったかもしれません。

ご指摘ありがとうございます。

ジャンキー 2010/02/21(Sun)21:22:40 編集
中二病の中三
中二病とか痛いセリフとかそれに対する感想ばっかりで、このアニメの主題に対するあなたの感想が全然見えて来ませんでした。

繰り返される日々
変えられない世界
飽和した娯楽
そんな世界に生きる若者に向けて作られた作品、監督はそういっています。
そんな世界に生きる若者達に希望を持ってほしい、例え世界が変えられなくても。
監督はこの映画にそういう意味をこめました。

でもあなたが話しているのは細かい台詞や、セックスシーンとかのことばかりですね。

「あなたにはこの映画からそれしか汲み取れなかった」などといって非難するつもりなんて毛頭ありません。
物語の見方、感じ取りかただなんて人それぞれですしね。
ひょっとしたら監督の力不足なのかもしれません。

でも、あなたは自身の評価は少々偏り過ぎだと思いませんか?

原作が押井守ではないということも知らずに、世界観の気に入らぬ点だの細かいお遊びの台詞をいちいち気に入らぬとちゃちゃをいれてるだけ。

それにあの世界が中二病?
笑わせてくれます、現在中三で、深夜アニメが大好きで、自作ファンタジー小説を学習ノートに執筆中の私が全中二病患者を代表させて言わせてもらいます。
「こんな世界、誰も憧れねぇ!!、キルドレなんか死んでもなりたくねぇ!!!!」

貴方にはあの毎日が我々の理想的な日々に見えたのですか?
ご冗談でしょう。あんな行き詰まった日々。
愛も悲しみも総ての感情が飽和して麻痺した世界。
どうしてそんな世界に憧れる人がいるんですか。



散々人の感想を侮辱したので、私の感想をここにかいておきます。
このアニメは私にとっては失敗作に見えます。
残念ですが私はこの世界に希望を見出だせませんでした。
主人公のように変わらぬ世界、同じ日々になにかを見いだし生きていく、そんなことは出来ない。
監督は、このアニメをみて今の若者が希望をよりもって現実と向き合えるようになって欲しかったようですが。
私はそうなれませんでした。
でも、とても素晴らしいお話でした、本当に感動しました。
またいつか、自分も誰かを愛することが出来る日がきたらその人と一緒にまたこの映画を見たい、そう思いました。
大爆笑カレー 2012/01/16(Mon)01:40:53 編集
無題
大爆笑カレーさん、コメントありがとうございます。

おれはいま24歳で、社会人で、もう中学生の頃のことをうまく思い出せなくなりつつあるので、実際に中二病を罹患している方々の気持ちも、想像することがだんだん難しくなってきています。だから、現役の中二病患者の皆様にしてみれば、おれの言っていることは少々的外れに聞こえるのかもしれません。だとしたら、己の不見識を恥じるばかりです。

でも、「スカイ・クロラ」に瀰漫する空気感、セリフとセリフの行間に横溢するアウラには、見覚えがあります。
この世界をいつでも覆せると信じていて、それでいてこの世界と自分との接触を拒んで逃げつづけて、他方でこの世界のほかの誰かと必死でつながろうとしていた、あの両義的で不安定な気持ちにはとても見覚えがあります。とにかく自分が何か価値のある人間だと思いたくて、でも誰もそれを認めてくれなくて、社会と勝負する勇気も持てずに自らの内宇宙にただひたすら埋没していく感覚。それが、おれがかろうじて思い出せる中二病のすべてです。

それを社会や世間では「現実逃避」と呼びます。中二病という言葉が常に否定的に使われるのも、中二病がただ単に現実逃避を惹起する救いがたい病理だと思われているからです。

文中でも少し触れていますが、おれは必ずしも中二病を全否定しているわけではないです。軽度の中二病は、この世界を疑い、この世界の醜さに抵抗しようと言う反骨精神を養ってくれます。
でも、大半の人は中二病が釣り餌にする美辞麗句に篭絡されて、凄惨なマスターベーションに没頭してしまい、そして最悪の場合は、もうそこから戻って来れなくなります。自分をアニメやラノベの中の、「自分では一切努力をしていないのになぜか女の子から盛んに求愛される主人公」と重ね合わせ、アニメやラノベの中の極めて非現実的で一義的なコミュニケーションの諸相(これを世間一般では「ご都合主義」と言います)しか学ぶことができず、結果としてアニメやラノベの中でしか生きられないディスコミュニケーションな人間になってしまいます。場合によっては、後戻りできません。

例えば「スカイ・クロラ」の主人公は特に努力もしてないけどエース・パイロットで、結構女の子にモテて、「おれは特に望んでないんですけど、周りから言われるので仕方なく生きてます」という、極めて都合の良い受身のスタンスで生活しています。
こんなのがアニメやラノベの中だけでしか存在しないファンタジーだということが、おわかりいただけるでしょうか。
実際にはエース・パイロットになるために(というか、エース・パイロットとして周囲に認められるために)必死で勉強をして厳しい訓練を受けて、好きな女の子の機嫌をとるために七転八倒して無駄な金を浪費して、「どうかおれのことを認めてください!お願いします!」というスタンスで能動的に行動しなければならない場合がほとんどです。社会で生きていくということはそういうことです。自分の価値を他人に認めてもらうために、みんな何がしかの形で自分なりに努力をして生きています。少なくとも、おれはそう思います。

あなたは「愛も悲しみも総ての感情が飽和して麻痺した世界なんかまっぴらだ」云々と、「スカイ・クロラ」の世界が必ずしも理想的な中二病空間ではないと強弁しますが、凡百のアニメやラノベが捏造する世界というのは、まさにその「愛も悲しみも総ての感情が飽和して麻痺したクソな世界」に他ならないと思います。何もかもが自分にとって都合よく推移し、自分は何一つ努力しないけれどもあらかじめ自分が総てを手に入れられることが担保されたクソつまんない世界です。
そういう世界を中二病的でないとするなら、あなたがおっしゃる中二病というのは、おそらくおれが知ってる中二病とは別のものなのでしょう。
少なくとも、おれが知ってる中二病というのは、そういうものです。


この現実で生きていくためには、少なくとも何らかの犠牲が必要です。
おれだって深夜アニメが好きです。アニメソングが好きです。できれば一日中そういった文物を享受して暮らしていたいです。
でも生きていくためには働かなければいけないので、アニメを観る時間やアニメソングを聴く時間を犠牲にして、シゴトに行きます。
そしてそうした犠牲が、総て報われるわけでもありません。仕事のためにオトナは多くを犠牲にしています。あなたの親だってそうです。そしてその大部分の犠牲や努力は、往々にして報われないものです。
誰だって社会なんてクソだと思ってるけど、正直にそう言ったらお金をもらえないので、必死に私情を押し殺して営業スマイルで仕事して、必死でお金を稼いでいます。
そういう人たちのことをあなたがどう思うかは、おれにはわかりませんが、少なくともおれはそういう人たちにある種の敬意を払いたいです。彼らの方が「スカイ・クロラ」の登場人物たちよりもよっぽどカッコいいです。みんな自分の家族を守るために、必死で闘っているからです。

だからおれは、現実と闘う人たちを描いた作品が好きだし、そういうアニメが好きです。
あなたがおれの感想が偏り過ぎだと感じたのも、そのせいかもしれません。
「スカイ・クロラ」は現実と戦うツールには全くなりえないと思います。おれにはこのアニメが、現実とは全く異なるシステムで動く全く別の世界に生きる空虚な人々の、とても都合の良い物語に思えました。

あなたはそういう物語でも素晴らしいと感じるのかもしれないけど、おれには無理でした。

おれがこのブログで書きたかったことは、要はそういうことです。
ジャンキー 2012/01/16(Mon)02:51:15 編集
無題
アニメは往々にして中二病要素があるものと思います。
最近のアニメで言うと、fate、ピングドラム等が私からしたら中二臭さが鼻に突きます。

が、逆にそうでもしないと面白いと思えないのが、アニメファンの業な所でありましてw
確かに上記らの作品は結構な評価を得ています。

何が言いたいのかというと、たかがアニメに中二がなんだ、だからボンクラの言っているのは、アニメを楽しめていないのでしょうか?
たかがアニメに眼を吊り上げて、批評して、なんだかんだ言っている時点で、本当にこの人アニメ楽しんで見ているのかな~って思ってしまいます。
いや、確かに、明け瑠璃レベルやヤシガニレベルの酷さであれば、文句を言うのも仕方がないとも思えますがw

アニメって肩に力入れて見なければならないものなのでしょうか?
義元 2012/06/23(Sat)00:24:08 編集
無題
日本のアニメはほぼ例外なく総てソフトポルノなので、自分の性的嗜好に恭順でフェティシズムを満たしてくれるものであれば、無為に耽溺し楽しむ鑑賞法もそれはそれで正しいのではないかと思います。喩えそれが救いがたい思考停止であれ、ペドフィリアの社会不適合性を昂進させる悪しき自己啓発であれ、どのような方法でその作品に臨むのかは、あくまでその人の自由であるべきです。
肩に力を入れてアニメを観る人たちの暑苦しさというのは、例えば『魔法少女まどか☆マギカ』の周辺に寄り集まっているポモな人たちを見るにつけ、果てしなく不毛でキモくて、ああはなりたくないものだといつも自戒を込めて思います。別冊ユリイカの「魔法少女に花束を」とか、中途半端に現代思想をかじった人たちの実に都合の良いアドホック作文の連続で、ほんとにひどいです。おまえら実はアニメよりあずまんとあずまんの真似してる自分が好きなだけだろ!!!と声を大にして言いたいです。
そういう意味で、アニメをアニメとして素直に楽しめば良いじゃん、という指摘もごもっともだとは思います。

とはいえ、やっぱりジーン・ウルフとかジェームズ・ティプトリー・ジュニアとかの短編小説で展開される現実とファンタシーの苛烈なせめぎ合いとそこから生み出される現実打開力の凄まじさと強靭さに比べれば、セカイ系ライトノベルだの日常系だの太陽曰くうー!!!にゃー!!!だのはスカスカな麩菓子みたいなもので、そしてたいていのアニメって結局はそういったレヴェルに達していないばかりかそれを目指そうともしていない軟弱pussyばかりで、ハッキリ言ってぜんぜんおもしろくないです。別にそれでいいじゃん、と言われればそれまでですが、やっぱりアニメだって芸術の仲間なので、ソフトポルノ以上のものがないとおもしろくないと思います。少なくともおれはそう思います。
富野由悠季だって、「アニメだって文化だろう?文芸だろう?娯楽だろう?それがここまで下卑ていいのか?一番趣味が悪いところに照準をあわせて、商売をしようというのでは、病人を増やすだけじゃないか?大人の無能をさらけだすだけではないか?」と言っています。おれも同感です。
別にあの女の子がかわいいとか、あのロボットやガジェットがかっこいいとか、おやすみユッキーとか強いられているんだ!!!とかのインターネットミームがおもしろいとか、そういった見方の何が悪いということもないですが、でも、おれはアニメが好きだしアニメだって芸術の仲間だと思っているので、そういったレヴェルを超える作品は、或いはそういったレヴェルを目指した作品は、やはりそれに適したフィールドで評価したいのです。

だからfate/zeroやピングドラムは、どうあがいてもポルノグラフィでしかないアニメというフォーマットの中で、それでも何とか芸術として中身のあるメッセージを発しようとがんばった作品なので、そういった部分は評価すべきです。残念なことにいまのアニメ評論はウンコ現代思想のポモポモしい人たちに汚染されてしまっているので、ダメなものをダメと言えないがためにどうでもいい二束三文の作品まで持ち上げてしまっているきらいがあり、評論が評論として機能していないという現実があるのですが・・・ でも、何もしないでオナニーしているよりは、はるかにマシです。

まあ正直、サーヴァントがどうしたとかマスターがどうしたとか聖杯がどうしたとか、中二オーラ全開の作風にはついていけない部分もないわけではないし、ぶっちゃけfate/zeroはそんなに好きではないですが、ピングドラムとか未来日記のラスト2話の感動はやはり素晴らしいので、もっとそういうアニメが観たいのです。
ジャンキー 2012/06/25(Mon)01:43:21 編集
無題
概念でしか物事を捉えられない人がパンクやロックしてるのだからこれは面白いですね
2013/07/12(Fri)10:39:32 編集
無題
コメントしていただけるのはありがたいのですが、先ず、それはおれに対する批判ですか?だとするなら、「概念でしか物事を捉えられない」というのは、具体的にどういう部分ですか?それを明示していただけると議論のしがいがあるのですが。
ジャンキー 2013/07/20(Sat)00:22:12 編集
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島根県のハードコアバンド、ヤンキー少女改め、SOFT、改め爽やかJ-POPデスメタルバンドPOSTOVOIのギター・ボーカルです。

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