島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
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皆さん、一月も終わりですよ!
マジかよ!!!
今月は自分にとっては現実逃避しようにも完全に離反することすらあたわず、現実と闘争して敗北し、そして遁走し映画や音楽を摂取して英気を養って再びリベンジする、というまるで曼荼羅絵のような感じでした。それで、それが来月も、ていうかこの先ずっとつづくのですよ。
ということで四回生になってからこっち、現実に打ちのめされてフルボッコになるたびに、ゲオ様が100円で貸し出してらっしゃるレンタルDVDを観ることでかろうじて生をつなぎとめてきたわけなんですが、まあ、ボチボチです。ボチボチデスよ。友達はCDとDVDです。リアルに。

去年の11月~今月までに観た映画の中で、特に印象に残ってるわけでもないけど何となく話の妻にでもなるような作品についてダラダラと書きます。
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あまりやらないんですが、今回は点数つけようと思います。ピーター・ジャクソン先生の超絶傑作「バッド・テイスト」を100点満点とするバッド・テイスト採点方式です!!!(「ラブリー・ボーン」早く観た~い!誰かいっしょに観に行きましょう!!!)



「カジノ・ロワイヤル」("Casyno Royale" 2006)
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「リアルでダーティーなポリティカル・スパイ映画として007がリニューアル!!!」とか散々太鼓叩いてたもんだから観てみたらSONYのCMじゃねぇか。天下のMI6がVAIO使ってるわけねぇだろ!!!「リアルでダーティー」なのはチンコぶん殴る拷問のシーンだけだろーがッ!!!!!!!
・・・と裂帛の叫びを上げたくなる理由は腐るほどあるが、いちばん問題なのはQじいさんが荒唐無稽な秘密道具をいっぱい作ってドンパチやる旧シリーズから脱皮をはかるべくMGMを出奔したものの、用意された脚本がかつて見限ったはずの旧007映画レヴェル、否、それ以下のスチャラカなものだったということだろう。テロリストに武器を都合する死の商人たちの名前を吐かせるためにル・シッフルとポーカーで対決して破産状態に追い込むという1000000%ありえないプロットをどうコーティングしてごまかすか、この最大の問題を結局クリアできていない。むしろドラえもんレヴェルのガジェットをドカドカ出して盛大にスパイ活劇やってた頃のほうがストーリー的には単純で逆にリアルだったのが、何とも皮肉だ。スチャラカな脚本という桎梏を凌駕するだけのスペクタクルがあったから。でも、新生007はうわべだけは「リアルでダーティーな本格スパイ映画」を標榜して作ったから、ガキでも楽しめるような明確なスペクタクルを仮構しなかった。物語がスチャラカだという点では同じだったから、結果的に出来上がったものは大人が観てもガキが観てもピンと来ない凡作だった、という最悪な結末・・・。バーバラ・ブロッコリ、しっかりしろよ!007は現実逃避のツールとして理想的なシリーズなんだから、しっかりとした娯楽大作を作ってくれよ!!!
ただし、前作、前々作とつづけて登板したデヴィッド・アーノルドの劇伴音楽は神がかり的なレヴェルにまで達しており、内容とは別に円熟した名スコアを聴かせる。特に冒頭のマダカスカルでのアクション・シークェンスにおけるスコアのアテ方は「もう、どうしましょう」というくらいにただひたすらにファッキンすげぇ超絶ぶりなので、映画音楽ファンは必見&必聴!ほんとに、デヴィッド・アーノルドの前ではハンス・ジマーなんかゴミだよな。くたばれハンス・ジマー!!!
ということで、内容はアレだが、デヴィッド・アーノルドが担当した音楽が楽しめるという意味で、一見の価値はある映画ではないかと。

(バッド・テイスト採点方式で)20点(心なしかジュディ・デンチがハツラツとしている)




「シリアナ」("Syriana" 2005年)
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コレ、初見のときは意味わからなかったんですよ。あまりにも煩瑣で、猥雑としていて。CIA版「トラフィック」ということですが、ここまでパッチワークされるともはやバロウズ状態です。目まぐるしく場面が変転して、自分が何の映画を観ているのかわからなくなります。これがデヴィッド・リンチの映画ならばまだ(自分がそういう酩酊感覚を味わわされていることの理由が)わかるんですが、内容そのものはどぉってことないポリティカル・サスペンスなので、頭を抱えてしまいます。映像もPOVを積極的に使ってブレブレだし。
ただ、こうして何ヶ月か経ってみて振り返ってみると、そうした手法を用いなければ現代社会の「複雑系」の混沌を表現することは出来ないのではないかな、とも思えてきました。というのも、このあとにアルフォンソ・キュアロン監督の隠れた傑作「トゥモロー・ワールド」(Children of Men)を観たからです。ゼロ年代の混沌を描破するためには、映画そのものもドッチラケの迷妄したものでなければならないのではないかと。アルフォンソ・キュアロンは映像を徹底的に「超現実的」なものに改変することに妄執して、それを見事に体現しましたけど。
それで、前掲の新生007も、こういう感じで作っていたらたぶんシリーズ屈指の大傑作になっていたと思うんですよ。「カジノ・ロワイヤル」でもアフリカの内戦国の独裁者の私兵や中近東のテロリストに武器を密輸する<死のルート>がサブテーマになっていましたけど、問題の内実には結局まったく突っ込まなかった。でも「シリアナ」は違います。フライヤーに「Everything is connected」と冠されているように、世界各地で巻き起こる事件が総て線となってつながっていること、そしてそれは常にある巨大資本によって指嗾され、犠牲となるのは弱者であるということ。「シリアナ」は決しておもしろい映画でもないし観てて頭が痛くなる映画だけど、ゼロ年代のグローバリズムがもたらし、そして明らかにした世界の実相を描くことに挑んだ、という意味では評価すべき作品だと思います。


バッド・テイスト採点方式で :
50点(これこそ新生007の進むべき道では?)




「スラムドッグ・ミリオネア」("Slumdog Millionaire" 2008年)
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普通に良い映画。としか言いようがない(笑)。あまりにも普通に良い映画過ぎて、さしもの映画秘宝も「深作欣ニイズムは、インドで生きていた!」とかあまりにも強引で牽強付会なコメントをするしかなかった(笑)。でもまぁ、こういうわかりやすい映画があって何が悪いということもないでしょう。ただ、あんまりこういう映画増えても困るけど(笑)。「全編インドロケでクイズ映画作る!」というダニー・ボイルの慧眼、企画センスの勝利。
あと、インドの話ということでチャイがいっぱい出てくるんですが、リプトン辺りがタイアップしていれば確実に紅茶の売り上げが増えたと思うのですのよ。それくらいみんな旨そうにチャイを飲む映画。

バッドテイスト採点方式で、60点(It is written...)




「チェンジリング」("Changeling" 2008年)
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アンジーが光GENJIのようにローラースケートを履いて電話交換手しているという脳ミソ発狂映像が飛び出す映画ですが、内容は「世界仰天ニュース」みたいなお話でした。
母一人子一人で仲むつまじい生活を送るシングルマザーのアンジーでしたが、ある日突然、息子が行方不明になります。八方手を尽くして捜索するも梨のツブテ、悲嘆に暮れるアンジー。ところが数ヶ月経って息子が発見されたとの報せが!!!良かったねー、と汽車から降りてきた息子と対面しますが、「何か違う・・・」と動揺を隠せないアンジー。よく見たら背も低いし、歯医者に見せたら歯型も違うし、おまけにチンコもムケてるし、確実に別人なので「おまえ誰や!!!」と憤るアンジー。ほんとうの息子は、いったいどこにいるのか・・・?
ここから物語は風雲急を告げ、「未来世紀ブラジル」もしくは「1984年」が如き精神病棟の恐怖を描いたあと「悪魔のいけにえ」「ヒルズ・ハブ・アイズ」のような超一級のアーバン・レジェンド・ホラーに突入して、しかし最後はしっとりと良い話で終ります。こうして書くと変態ギレルモ・デル・トロの「デビルズ・バックボーン」や「パンズ・ラビリンス」のような、<何が何だかよくわからないけれどとにかくすごい映画>のように思われるかもしれませんが、監督として円熟の極みに達しつつあるクリント・イーストウッド御大の手堅い演出で物語の起伏はかなりなめらかで、142分の長尺のランタイムも冗長過ぎることなく、かなり面白く観れます。
主題は1920年代のLAPDの悪辣ぶり、極悪非道ぶりにありますが、当時の電話交換手がローラースケートを履いて仕事していたことを含めて貴重な知見を得ることの出来る、素晴らしい映画だと思います。ジョン・マルコビッチもいつの間にか演技派俳優として返り咲いてたりしています。何より、悪い奴らが全員最後に成敗されるので、ほんとうに良いことだと思います。最後のエピソードがすごい良くて、下手したら泣いてたかもしれません・・・。うーん、普通に良い映画、というか、かなり良い映画ではないかと。
あと、「カジノ・ロワイヤル」のル・シッフルが出てるー!!!と思ったら、まったくの別人でした。(´Д `) まさしくチェンジリング!


バッド・テイスト採点方式で、80点(アンジーは、つくづく大物)




「神の左手悪魔の右手」(2006年)
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楳図かずお先生の超絶傑作マンガの映画化とあって、期待と同時に名状すべからざる不安を抱いた方も多かったろうが、金子修介の名を見て欣喜した人もまた同時に多かったのではないだろうか。邦画界で数少ないマトモな映画監督のひとりである彼の名が冠せられているから、こりゃ大丈夫だと。しかし、そう思った人はだからこそ深刻である。なぜなら、出来上がった映画はぜんぜん大丈夫じゃなかったから。金子ブランドを信用して観た人はきっと昏倒したことだろう。ここまでつまらない映画になるとは、誰も思ってなかっただろう。なぜ、このような惨劇が起こったのか?
実は、本編はもともと那須博之が監督していた企画だった。那須博之って誰、という人には邦画史上ブッチギリの最低映画として名高い「デビルマン」の監督、と言えば納得してもらえるだろうか。本編はつまり、その「デビルマン」のあとに那須に持ち込まれた企画なのだ。しかし、永井豪先生のマンガ史に残る傑作「デビルマン」を腹筋に壊滅的な疼痛が走る問答無用の最低映画にしてしまったことでデーモン一族の逆鱗に触れた那須氏は、本作の撮影途中で急死してしまう。その代役として招聘されたのが金子氏ということで、要するにこの映画は半分は那須の作品なのである。実際に観てみればわかる。全編、あの世紀の駄作「デビルマン」を彷彿とさせる、観客をデーモンに変えてしまう禍々しいオーラで横溢している。これは金子修介のタッチではない。明らかに那須の、あの「デビルマン」の感覚だ。だからこの映画も駄作である。あーあ。
しかしなぁ、金子、雇われ仕事だったからって手抜きすぎだろッ!!!やっつけ仕事過ぎるぞッ!!!責めてあの警備員のくだりは撮り直せよッ!!!あー、脚本をリライトする余裕もなかったんだろうなぁ・・・。脚本のアホは那須の弟子らしいが、京大まで出てこのレヴェルでは、大学教育の意味全然ねぇぞ!!!頼むからおまえはもう筆を折れ!!!楳図先生まで出演しているというのに、全体を覆うこのやるせなさは何だ!!!あと、死体がどう見ても人形じゃねぇか!!!市川崑の「犬神家の一族」(2006)の蝋人形のほうがぜんぜんスプラッターだったわ!!!とりあえず、ただでさえ「無内容」と言われるスプラッター映画としても失格。完全なダメ映画。ていうかゴミ。
確かに、楳図先生のマンガは映像化し辛い。特に「神の左手悪魔の右手」なら尚更だが、それでも脚本のベースは比較的破綻のない「黒い絵本」。正直な話、山の辺想やヌーメラウーメラが出てこなくても成立するストーリーである。だから、マトモな脚本を用意すれば和製「ヘンリー」「羊たちの沈黙」のような傑作になる可能性だってあった。単純にスプラッター・サイドを強調したとしても、近年トーチャー・ホラーやエイティーズ・スラッシャーのリメイクで殷賑を極めるハリウッド・ホラーの向こうを張るスプラッター映画が完成したはずである。だからこそ那須と金子の罪は重い。
とりあえず、名作、傑作と呼ばれるマンガを中途半端な根性と予算と才能で映画化するな。頼むから。まぁ、那須は凄まじい予算を組んだ「デビルマン」で見事に撃沈したけど、金子修介が本気を出して、あともうちょっと増資すれば、鶴田法男の「おろち」レヴェルの佳作をモノに出来たはずである。ほんとうに金子のやっつけ仕事が悔やまれるが、ただ、やっぱりほんとに予算がなかったんだろうなぁ・・・。「デビルマン」はVFXだけが唯一及第点以上の完成度だったのに、今回の人形はあまりにもあんまりだ。いままでの邦画はどんなにつまらなくなても円谷特撮の系譜を汲んでいるから、特撮は健闘している、という映画が多かった。だからここまで酷い特殊メイクを観るとむしろ心配になってくる。予算が足りなかったからこうなったんだと思いたい。だけどさぁ、井口昇の傑作「片腕マシンガール」とか観ると、この規模の映画でももうちょっとがんばれたんじゃないかとは思うよ。
とにかく、ほんとにダメな映画監督のもとで中途半端な予算で作られた映画は、金子修介ほどの才人の力を持ってしても修復することが不可能であることを証明した作品。ていうかゴミ。「デビルマン」のようにネタになればまだ幸いだが、この作品の場合はネタにもならないから観ないほうがいい。田口トモロヲの演技が良い、とか、ぜんぜん救いにならない。

バッド・テイスト採点方式で、マイナス100億点(正直、あの「デビルマン」の惨劇すら超えたと思う。ある意味すごい。)

 


「おろち」(2008年)
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楳図先生の同名マンガの映画化。こちらも日本マンガ史に残る超絶傑作が原作であることから期待と同時に言い知れぬ不安を惹起したが、脚本に高橋洋、監督に鶴田法男、そして音楽に川井憲次と、現在考えうる限りでこれ以上ない完璧なスタッフの招聘に成功。キャストも割りと豪華で、なおかつ嶋田久作が脇を固める磐石ぶり。かくして楳図先生のマンガの映像化作品の中で、現時点で最高傑作と呼ぶべき名作が誕生した。
「血」と「姉妹」、そして「洗礼」を巧みに結節した高橋洋の脚本、手堅くも気高い鶴田法男の確かな演出、俳優陣の120%の健闘、そして川井憲次の完璧な劇伴音楽。とにかく、川井憲次の音楽がほんとうに素晴らしい。ほんとうにほんとうに素晴らしい。もちろん、脚本に致命的な穴がないでもないが、いままで楳図先生のマンガの映像化でロクなものがなかった(上記参照)ので、百歩譲りたい。「おろちはあんな黒髪の日本人顔の女なんかじゃないッ!!!」という反駁は至極もっともですけど、やっぱりいままで楳図先生のマンガの映像化でロクなものがなかった(上記参照)ので、百歩譲りたい。とりあえず、高橋洋すげぇ。「血」と「姉妹」の共通性を見出すことはサルでも出来るが、「洗礼」とのアマルガムなんて、普通は誰も考え付かない。確かに、どちらも「美醜」「老醜」をテーマとした作品であり、そして二人の「女性」の相克と闘争と、そして断罪の物語である。それでこの映画版「おろち」も、ほぼ完璧に「洗礼」しているんですよ。また、鶴田法男すげぇ。正直、ここまで良い映画撮れる人だとは思わなかった。フィルムが焼き付けを起こすシーンは、鳥肌モノ。ほんとにすげぇ。木村佳乃が絵を見上げて回想するシーンでは、私、泣きかけましたよ。
そして川井憲次すげぇ。もう、我が国最高峰の作曲家でしょう。「機動警察パトレイバー2」「イノセンス」に匹敵する、彼のベスト・ワークだと思います。
とりあえず、ちゃんと予算を組んでマトモな人材を集めれば、楳図作品の映像化は可能だということ。それを証明したことに尽きる。野心溢れる試行だった「ロング・ラブレター」の志が、10年かけてようやく結実したような、とにかく楳図ファンとしては万感の思い。ほんとうにありがとう。映画としては75点くらいだけど楳図映画としては1億点満点です!!!ゼロ年代に作られた和製ホラーの中でも恐らく最高峰の作品ではなかろうか。それほど良い。


バッド・テイスト採点方式で、90点(ほんとうにありがとう)。

「モンスター」("Monster" 2003年)
 

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「スカイ・クロラ」を観る。


押井守の作品群には幾つかの通底するテーマがある。いわば作家性と言い換えてもいいが、例えば「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」では戦争と平和、「攻殻機動隊」「イノセンス」の攻殻二部作においては「私とは何か」、もしくは「人と機械(人形)を分かつ明確な懸隔はどこにあるのか、ていうか、そんなものがほんとうに存在するのか」、というデカルト的、というよりもフィリップ・K・ディックの「反応機械」的な命題、などの原始的かつ普遍的な人間哲学・生活哲学がいちいち崇高に、ときに高踏的なまでに深耕され考究される。彼の衒学趣味とそれに対する是非は別として、その諸作品で援用される有史の先学の名言とそのチョイスがそのテーマをことさらに顕揚しているように見える。だからこの「スカイ・クロラ」でも戦争と平和とかキルドレの自己同一性の問題とかもそういった文脈の上に継起しているテーマのように思える。

 
しかし、仮にあなたがそう考えているのだとしたら、それは押井守作品の本質を見誤っているのだ!押井守の作品群に底流する最大のテーマとは、「人生設計のプライオリティを、複数の順列から選び取ることは許されるのか」、つまり、「結婚して普通に子どもを作り家族を持つことだけが人生なのだろうか」、という中年・壮年期男性の精神の叫にも似た庶民的な人生哲学であり、押井守がその作品において描出する登場人物の人生とは常にその思考実験の諸相であり、その作品の結末とはつまり押井自身の所見に他ならない!これは言い換えれば押井守の中二病だ。

 
 
例えば「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」は南雲と柘植の残酷なまでに美しいラブストーリーだったし、「攻殻機動隊」にはツマハジキ者、世間一般と折り合いが悪いアウトサイダー同士(草薙素子と人形使い)のセックスというサブテーマがあった。「イノセンス」もやはり世間一般と折り合いが悪くて郊外のセーフハウスに飼っている犬だけが家族と言う極度の厭世家を狂言回しに、最後は9課でほぼ唯一所帯を持ってマトモな人間生活を営む同僚の娘とフランス人形の見分けがつかない!という極めてデカルト的かつフィリップ・K・ディック的なオチによって物語の掉尾を飾る、実に中二病的な映画であった。そもそも「パトレイバー2」なんて「軍用ヘリコプターに乗って東京を爆撃したい!」という小学生ワールド全開の欲求を実現するために作ったとしか思えない映画だったから、押井守の作家性はもはや小児病的とすら言えるかもしれない。

 
 
押井守のルーツは70年代前半の全共闘にある。彼の作品の根底には常に、社会全体に対する懐疑と批判精神が胚胎している。その表出の一例がつまり、「平凡な家族生活」という普遍的なコモンセンスに対する反駁である。
 
「子どもを作って家族を持って仕事して死ぬのが人間の総てか?」という壮大で広漠たる疑義に対する、極めて鋭敏にして情動的なまでの問いかけこそが押井作品のもうひとつの要諦なのだ。



 
 
さて、この「スカイ・クロラ」においても、軍産複合体の究極とも言える「軍隊の民営化」以降、私企業が戦争を代行するという世界観が人間のルサンチマンを前提としたニーチェ的なものだ、とか、キルドレが抱える「子ども以上大人未満」という懊悩が実に楳図かずおの「わたしは真悟」的だ、とか、いろいろなテーマがあるように見えてそれらは全部どうでもいいことのように私には思える。この映画もまた押井守の中二病映画だからだ。
序盤から軍服萌えや戦闘機カッコいい!とか「タバコ吸わない上司は信用できない」とか重度の中二病罹患者の妄想が炸裂していて赤面の至りだが、最大の中二病はキルドレという設定そのものである。彼らはバイオ・ケミカル産業の副産物として生まれた「大人になることが出来ない」ひとたちなのであるから。生物学的に保障されている永久未成年など究極のピーターパン・シンドローム、究極の中二病であろう。
 
彼らは下手したら永遠に生きつづけるから死ぬことによってしか自らの生を実感できない(「死ぬなどということは、生きているものにしか出来ない芸当である!」by荒俣宏)。だから「戦争企業」に就職して闘って散華するしかないが、死んでも企業様がパイロットとしてのスペックを経験値として維持していくために「未来惑星ザルドス」のように再びこの世に転生してくる。このジレンマがサブテーマのひとつになっているように見えて、実はやっぱり押井守的にはどうでもいいのだと思う。思春期から成人に至るまでのモラトリアムの中で戦闘機に乗って文字通りの戦争ごっこをしながら過ごし、そしてそれが永遠につづくのだから(しかも飲酒も喫煙もセックスもやりたい放題だ)、「スカイ・クロラ」の世界はまさに総ての中二病患者の理想のワンダーランドに他ならない。しかも、そんな永久未成年なロストック社のパイロットたちの前に現れる強敵の名前は「ティーチャー」なのである。
 
 
「大人になんかなりたくないよ~~」とか、「先公うぜえ」とか、「タバコ吸ってるおれ、カッコいい!!!」とか、中二病患者のあらゆる妄想がここに忠実に映像化されている。はいは~い、「スカイ・クロラ」ランドはこちらですよ~!!!カッコいい戦闘機がありま~す!バイクにも乗れま~す!冷蔵庫開けたらビールいっぱい入ってま~す!なんかアメリカっぽいダイナーも荒野の真ん中に都合よく建ってま~す!しかも上司はかわいい女の子で~す!
 
 
・・・そういう意味で「スカイ・クロラ」は中二病を罹患する総てのボンクラどもに捧げられたファンタジーだ。この映画は自分が重度の中二病患者であるかどうかを計測する測鉛なのだ。

しかしその分、問題はより深刻である。押井守はいままで「平凡な家族生活」とやらがあたかも人類の理想の人生哲学であるかのように捏造する社会に対して、「そんなの間違ってる!!!」と反駁する作品を量産してきた意味でその中二病は軽微なものだった。中二病的な理想を前提にあーだこーだと批判的に長広舌を振るう物語、という批判装置としてそれは有効だったから、そもそもの彼の中二病性などは特に問題ではなかった。
しかし、この「スカイ・クロラ」で押井守はそれらを通り越して「究極の中二病ワールドを作って、そこで現実逃避する」という最悪の選択を犯してしまった。いわゆる精神分析における陽性転移のようなものだ。中二病患者である自らを客観視することが出来なくなり、POVで切り取られた倒錯的で腐敗した風景を幻視したかのようなこの作品はその意味で中二病患者の心理状態のドキュメントと言えるが、それは要するに押井守の自らの中二病に対する自覚がここで完全に欠落してしまったことを意味する。自らの抱く理想が実社会では実現が困難な幻想であるからこそ軽度の中二病は実社会への嘆息の印象批評となり、批判装置と成り得る。しかし観測者がひとたび「実現が困難な幻想」という自覚を失くしてしまえば、それは凄惨な内宇宙への埋没となる。もう実社会で闘うツールとは、成り得ない。

「スカイ・クロラ」の唯一の救いは、主人公が「ティーチャー」とのドッグファイトを挑んだ末に敗北し、戦死することである。結局、中二病的幻想は実社会の教室内における権化である「教師」の前に敗れ去るのだから、これはかなり自虐的な結論ということになる。主人公がこのときに「ティーチャー」を「my father」とパラフレーズしていることも重要だ。自らを生み出し育ててきた環境=実社会に対する反駁の思念の萌芽を中二病とするならば、実社会に適応し何らかの形で克己して篭絡されることは自らの父親の軍門に下ることを意味する。押井守は地獄の中二病仮想空間の中に現実への退路を残したのだろうか。
しかし、そうとも言えない。
生の記憶を年輪のように積み上げていくことで逆に生への実感が希釈され淘汰されていくキルドレにとって死という選択は最高の快楽である。J・G・バラード流に言うなら草薙と函南が拳銃でセックスするように、「ティーチャー」を相手どってプレーする生と死を巡るゲームはいわば究極のオナニーである。別にキルドレは死を敗北だとは思っていない。(反対に、生を勝利だとも思っていない。)
もちろん、ザルドス、否、ロストックの意思によってキルドレは何回も転生するから、死によって永劫回帰を果たしたように思えてもまた「実感のない生」のサイクルを繰り返す意味で罰ゲームはつづいていくように思えるが、やはり「ティーチャー」ともう一度ゲームをしてリセットする権利は保持されるわけで、中二病オナニーは永遠につづいていくのである。
ちなみに、キルドレにはザルドスにおける「加齢」のペナルティもない。性欲はあるから、厳密な意味での去勢を受けているわけでもない。 


 
このように「イノセンス」以前の実社会への反発というスタンスが、実社会から画された理想の世界に閉じこもって夢想しながら安寧を貪る、というものに堕してしまった、という意味でまさしく「スカイ・クロラ」は押井守の作家性のドラスティックな変節点であり、歴史的な作品であると言える。
しかし、まあ、自覚症状のない重度の中二病がもたらす脳内思想ドラッグの無限注入とそれによる酩酊感は気持ち良いかもしれないが、現実を闘うツールという意味では、まったく、使い物にならないし、そもそも夢は遅かれ早かれ覚醒するからこそ夢なのであり、キルドレの輪廻のように無限につづくものではあり得ないから、幻想から覚醒したときの禁断症状とリラプスとの戦いに打ち勝つツールにもなり得ない。
何度も言うが、中二病は軽微ならば社会を批判する目を養い、そして現実と闘うツールと成り得る。しかし、重度に進行し自覚症状が散逸していくとたちまち幻想が脳を篭絡し、現実と戦う力は失効する。それを選ぶ権利はもちろん個々人にのみ与えられているが、まあ、愚にも付かないファンタジーにうつつを抜かすのもタイガイにしたいものである。



 
 
その他の感想を以下、箇条書きで。
  • とはいえ、アニメでここまでセックスを直接描いた作品は他になかったから、そこは評価していいと思う。
     
  • 草薙水素が意外と尻軽で萎える。おれの中の水素は、そんなんじゃないッ!と思ったやつはおまえも中二病だ。
     
  • 主人公がなんだかんだでオイシイ思いをしていてムカツク
     
  • 水素が泣くシーンは、声優の演技力などを勘案しなくともダメダメだったと思う。物語があそこで飛躍する必要もあったかどうか。押井守の演出力、構成力の負の部分が出た感じ。大いに減点。
     
  • 川井憲次の音楽はやっぱり良い。作品とは別にやっぱり良い。
     
  • エンドクレジットのあとのラストシーンはどう考えても蛇足だと思う。
 


あと、芸能人を声優に使うのやめろ。こっちは金払ってるんだから、プロの声優を使え。菊池凛子は俳優としては良いかもしれないが、少なくとも声優としてはまるでダメだと思う。スタジオ・ジブリもそうだが、頼むから俳優や芸能人を声優に使うのやめろ。マトモな声優を使え。


 
 
 
 
 
 
 最後に。
以上の私見に対して、「だってあんたの好きなゾンビ映画や『バッド・テイスト』も、中二病の妄想の映画化そのものじゃん」という反論もあるかもしれない。しかし、ゾンビ映画や「バッド・テイスト」は<おしゃれなジャズ>とか<大人のラブストーリー>とか<崇高な人生哲学>とか<タバコ吸わない上司は信用できない>とかいうブラフとは無縁である。「スカイ・クロラ」はボンクラであることを百方手を尽くして隠蔽しようとしているから醜いのだ。その点、「ゾンビ」や「死霊のえじき」や「地獄の門」や「バッド・テイスト」はナチュラル・ボーン・ボンクラ、開けっぴろげに堂々と「ボンクラ映画で~す!!!」と主張しているから潔い。
 
 
 
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「ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー」(Hellboy II : The Golden Army)


天才ギレルモ・デル・トロのとんでもない傑作。「デビルズ・バックボーン」と並ぶ彼の最高傑作であるばかりでなく、アメコミスーパーヒーロー映画のカテゴリーの中でも、最高の部類に入る作品。前作をヘッポコな凡作に終らせた総てのダメ要素を見事に改善、ゲテモノヒーロー映画のひとつのスタンダードとして確かな強度を持って屹立するひとつの金字塔である。


何がそんなに良かったか。
 

まず、前作の主要登場人物のひとりでありながら「何のために出てきたのか意味不明」状態に陥っていたマイヤーズ捜査官を南極に左遷。本作には一秒も登場しない(笑)。
 
次に、やはり前作の主要登場人物のひとりでありながら同様に「何のために出てきたのか意味不明」状態に陥っていた半魚人・エイブが今作では獅子奮迅の大活躍。といっても重要なところで足引っ張ってるだけなんだが(笑)、見事にキャラ立ちに成功した。

また前作では自重気味だったクリーチャーや怪獣が今回はいっぱい出てくる。ヨハン・クラウスの造形の奇抜さも素晴らしいし、森の精やゴールデン・アーミーのVFXにはボンクラ魂が燃え上がること、間違いなし!
 
そしてやっぱり脚本が圧倒的に面白い。前作のメインテーマだった「化け物の庶民的恋愛」が今作では更に深耕され、冒頭から妊娠検査薬の陽性反応見てリズがマタニティ・ブルーになり、エイブはエルフ族の女王に片思いの挙句彼女に捧げるラブソングを部屋で練習すなど従来のヒーロー映画の常識をはるかに逸脱した狂気に満ちたハイテンションで一気に駆け抜ける。やはりギレルモ・デル・トロは才人だと思う。最後のオチもエスプリが利いていて良い。

あとはVFXがやはり素晴らしい。市街地を蹂躙する森の精はもちろん、ゴールデン・アーミーのカッコよさ、「ロード・オブ・ザ・リング」と「スターウォーズ」を足して2で割って2乗したようなトロール・マーケットのシークェンスにおけるセンス・オブ・ワンダー、そしてジョン・ハートが少年時代のヘルボーイにゴールデン・アーミーの昔話を聞かせる場面で挿入される長尺のパペトゥーンなど、ワンダーに満ち満ちた特殊効果が全編に渡り横溢する。

 
そして極めつけは泥酔状態でバリー・マニロウを合唱しながら恋愛を語るヘルボーイと半魚人という、史上かつてない発狂してしまうような頭グルグル映像だろうか。いったいどうしたらこんな脳ミソがネジ曲がったような話を思いつけるのか?あと、セルマ・ブレアかわいいですよ!!!
 
そんなこんな含めて超絶に素晴らしいゲテモノヒーロー映画の傑作。控えめに言って全人類必見。
2009年は永遠に生き永らえるものと思われていた森繁久弥が死んで、「人はいつか死ぬものなのだ」という、しごく当たり前でありながらもっとも哲学的かつ神学的な問いかけについていまいちど深く考えさせられる年だったと思います。
ひらまつつとむ先生の名作「飛ぶ教室」の読み切り版(単行本第二巻の巻末に収録)を読んだことありますか?主人公のオサムのラストのセリフにこんなのがあります。「体が震えた・・・生まれてはじめて心の底から泣きたくなった。映画やテレビで人が死んでもよく考えなかった。人が死ぬって こういうことだったんだ。」
2009年はそういう気持ちになることが多い一年だったのではないでしょうか。ほんとうに余りに多くの著名人が、特にサブカルチャーの分野においてバッタバッタと亡くなられて、何とも言えない気持ちになりました。
特にショッキングだったのが、まずはマイケル・ジャクソン。永遠にお茶の間にネタを供給しつづけてくれる存在だとばかり思っていたのですが、死とひきかえに正当な評価を取り戻したのが何とも皮肉です(生前にもっと愛してあげれば良かったのに・・・)。わたしは彼の音楽にはほとんど関心がありませんでしたが、ワールドクラスのネタ・タレントとしてリスペクトしていたので彼の死にはやはり堪えられないものがあります。同じ意味で、ファラ・フォーセットの死も衝撃でした。マイケル・ジャクソンと同じ日に亡くなった"angel"でしたが、彼女の場合はもっとハッピーな最期だったようです。
そしてアベ・フトシ。鬼神の如き凄まじいカッティングで日本中の高校生に多大な衝撃と建設的な教唆を与えたJポップ史に残る偉人ですが、まさかこんな若さでこの世からドロップしてしまうとは・・・。彼の残虐なまでに情熱的なギター・プレイがあったからこそ、90年代後半~ゼロ年代前半のJポップ文化は豊かなものになったのだと本気で思います。
あとは、ダン・オバノン。ホラー映画史に確かな足跡を残した稀代のストーリーテラーでした。彼が亡くなったことで、ホラー映画の世代が確かに一巡しつつあることを実感し、何とも名残り惜しい気持ちになります。
ギタリストと言えば、ギブソンレスポールのゴッドファーザーであるレス・ポールさんも大往生の末、天寿を全うされました。また、あまり日本では報道されませんでしたが、Blue Cheerの偉大なる爆音ロックンローラー、ディッキー・ピータースンもくたばってしまいました。超超超名盤「Vincebus Eruptam」の歪み切ったファズ・ギターの爆音がなければPanteraやSlayerやMotorheadやAC/DCやMelvinsやNirvanaやNeurosisやHigh RiseやBorisやGreenmachineやCryptopsyはもちろん、非常階段やSunn O)))も誕生しなかったわけで、その意味では爆音ロック史の最重要人物でした。ヘヴィ・ロックのモノリスの死を悼み、今後も爆音ロックを愛しつづけることをここに誓います。


ゼロ年代最後の年はそんな終末感ただよう黒衣の一年だったわけですが、2000年問題ではじまり911で革命的に「何か」がブッ壊れた、混沌としたゼロ年代の総決算という意味では、象徴的な一年だったのかもしれません。

ゼロ年代が「喪失のディケイド」であるとするなら、2009年はまさしく「喪失の一年」でした。
しかし、いつまでも喪に服して下を向いているわけにもいきません。偉大なる先人たちの死を悼みつつ、彼らからしっかりと「何か」を受け取って、また歩き出さねば。不幸な出来事は多かったけど、それだけの一年でもなかったはず。喪失と混沌の奔流の中で確かに芽吹いたものが、きっとあるはず。






・・・ということで、打ち続く悲しみから立ち上がるための萌芽を見つけ出すべく、2009年を大衆音楽の面から振り返ってみたいと思います。2009年に発表された音楽作品の中から、わたしjunkieが聴いてみて良かったと思うものベスト10(+その他)、を、誰も興味ないかもしれませんが自分用のメモの意味も込めて、発表します。

選考対象は2009年1月1日前後~2009年12月31日前後にリリースされた作品の中で、2009年以前の音源のリイシューや過去音源のコンピレーション、また既発作品の初CD化などのアップ・コンバートを除いたCD、アナログ作品です。ですから普通に考えたら嵐のベスト・アルバムや菅野よう子のベスト・アルバムが上位に食い込んでいて然るべきですが、今回は割愛しています。(微妙なのがNirvanaの「Live at Reading」ですが、今回は新譜として扱っています)


それではカウントダウン方式で参ります!


2009年 junkie的大衆音楽作品10選(+その他)


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10 Dinosaur Jr. 「Farm」
とにもかくにも1曲目の「Pieces」、これに尽きます。間違いなくDinosaur Jr.にしか作れない、唯一無二の最強のポップソングです。イントロのギターリフだけで瞬殺されます。泣きのギターソロ、無気力なボーカル、ドミナント・コードの多用、総てが完璧です。21世紀になっても相変わらず泥臭いギター・ロックをどうしようもない爆音とどうしようもないヘタウマな演奏でやってしまうところにマンネリズムと同時に、ある種の矜持を感じます。ボーナス・ディスクのライヴもどうしようもない爆音で、そしてどうしようもないくらいヘタですが、ぜんぜんオッケーです。とにかく「Pieces」すご過ぎ。

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9 椎名林檎 「三文ゴシップ」
わたしは熱心な椎名林檎のリスナーではないし、歌舞伎町の娼妓がどうのこうのとかナナメ後ろの女子高生がどうのこうのとかどうでもいいし、それ以前に狙ったようなブレスの入れ方とか気に入らないのでむしろそんなに好きなミュージシャン/ボーカリストではなかったんですが、このアルバムの先行シングルとして発表された「ありあまる富」を聴いてその印象が大きく変わりました。在り来たりで無難なアレンジのポップソングでこりゃ安全パイだな、と思いきやさにあらず、「彼らが手にしている富は買えるんだ/ぼくらは数えないし、失くすこともない」「価値は命に従って付いてる」と訥々と歌う、中道左派の北欧社会民主主義的な哲学に貫かれたゴリゴリの新自由主義批判ソングなのでした。どんなハードコア・パンク・バンドがポリティカルな歌詞を歌い叫ぶよりも、このような口当たりの良いシンガロングなポップソングに思想的な歌詞を乗せるほうが何倍も有用であることに気付いたと同時に、椎名林檎が覚醒して「歌いながら説教するさだまさし的SSW」へと進化しつつあることを実感したのです。(詳しくはこちらで
このアルバムでは「労働者」という曲が凄まじいくらいに良いです。楽曲と歌詞、そして歌唱、総てが完璧です。椎名林檎が楽しそうに歌っているのも良いです。「いったいいくらかかるの?果てしない充足まで/とても間に合わない、身体と時間がない」「悪いのはどいつだ、顔見せな!」「お願い、夢を見さして!」、という歌詞に血涙の叫びを感じたのは、わたしだけではありますまい。「労働者」は2009年でいちばん聴いた曲かもしれないです。それくらい良いです。

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8 Om 「God is Good」
凄まじい低音と、骨格だけになったようなシンプルな楽曲、そして呪術的なボーカル。録音はSteve Albiniです。単なる麻薬ヘロヘロロックと片付けることは簡単ですが、ホワイト・ブルーズがどのように興隆していったか、そしてそれがそもそもどのようなものであったか、その歴史を後景に鑑みると考えさせられるものがあります。(詳しくはこちらで

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7 Big Business 「Mind the Drift」
Big Businessの音楽性をどう言い表していいかよくわからなかったんですが、何となくHarvey Milkに近いんじゃないかと最近思っています。良質なメロディと確かなヘヴィネスを持った佳作。ゼロ年代のアメリカのアンダーグラウンド音楽の実態を知る意味でも、資料的価値のある作品です。(詳しくはこちらで

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6 Melvins 「Chicken Switch」
これは純然たるMelvinsの新譜ではなく、リミックス集。しかし、山塚EYE氏を筆頭にリー・ラナルド、メルツバウ、Acid Mothers Templeのカワバタ氏・・・とアメリカのアンダーグラウンド最重鎮Melvinsのリミックスだけあって多士済々の凄まじいメンツが揃っています。当然のようにクオリティが高いリミックスになっているわけですが、むしろ原曲の良さが際立っているようにも感じられます。「Lysol」を擦り切れるほど聴いたゴリゴリのMelvinsファンには堪らない企画盤。

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5 Fu Manchu 「Signs of Infinite Power」
普通に超カッコいいヘヴィ・ロック!です。ただ、普通に超カッコ良すぎて腰を抜かすのは間違いないのですが、ここまで超カッコいいロックばっかりの捨て曲なしのアルバムを作っておきながらやけに平然としていてすまし顔なのが逆に器用貧乏な面を感じさせます。しかし、「器用貧乏も10年つづければゴールデン器用になる。何でもできて文句あっか?!」という菅野よう子先生の名言があるように、それが何の弊害になりましょう。Fu Manchuは実際にそれを10年以上つづけてきたので、立派なゴールデン器用です。ほんとうに捨て曲なし、完全無敵のへヴィ・ロック。ゴールデン器用の真髄をご堪能ください。

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4 Baroness 「Blue Record」
完膚なきまでの男泣きへヴィ・メタル。もう最高過ぎて言葉が出ない。「A Horse Called Golgotha」の男泣き度はハンパではありません。震えて聴き、そして泣いてください。傑作!!!(詳しくはこちら

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3 Sons of OTIS 「Exiled」
普通に超カッコいいストーナーロックの名盤。また、低音のビビリ度がハンパなく、重低音マニアにも推奨。ヘヴィネス、楽理の両面において最強の作品。爆音ロック史に残る名盤だと思うので、是非一度聴いてみてください。名盤。(詳しくはこちら

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2 Church of Misery 「Houses of the Unholy」
最強。総てを蹂躙する圧倒的なヘヴィネスで疾走し自爆する燃料噴射装置付きの自殺マシーン。ほんとうにほんとうにカッコ良過ぎて鼻血と血涙と胃液と放射能が出てくるので全ロックファンは絶対に聴いてください。定番のカヴァー曲はSir Lord Baltimoreの「Master Heartache」で、今回も呆れるほどカッコいい。個人的にChurch of Miseryの最高傑作だと思う。LET THEM EAT DOOOOOM ! ! ! ! !(詳しくはこちら


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1 KK NULL 「Extropy」
2009年が終わり、21世紀最初のディケイドが終わったことになりますが、この10年間は前世紀の人々が想像したような「夢と希望に溢れた21世紀」像のその片鱗すら実現することも叶わない暗黒の10年間でした。ミレニアムが一巡したものの何一つ具体的な実感を伴わないまま迎えた「新世紀」初頭の漠然としたうつつの日々が911同時多発テロの爆発と噴煙によって完膚なきまでに蹴散らされて以降、わたしたちは爆弾テロと新自由主義がズタズタに切り裂いたグローバリズムのガレキの中をよろめきながら歩いてきたわけですが、そこで気付いたことは「この世界は矛盾と理不尽と悪意と暴力に満ち満ちている」というしごく当たり前の事実認識から人類が一歩も進歩していない、ということでした。民族紛争、宗教紛争、第三世界と先進諸国間に横たわる埋めがたい格差、90年代に結局解決できずに放置されてきたそれらの問題は20世紀の終焉とともに記憶の片隅に追いやられてしまったわけではまったくなく、要するに21世紀に棚上げされて相変わらずわたしたちの近傍に存在しつづけ、それを解決するためにはわたしたちがわたしたち自身の力でその問題と対峙し、戦わねばならない、という、しごく当たり前の、そして圧倒的にごまかしの利かない事実を、わたしたちは911から始まったゼロ年代という10年間を通して痛烈に思い知らされたはずです。21世紀になって「何か新しいもの」が唐突に現れてわたしたちの何かを解決し、導いてくれる、という夢は幻想でしかなかったのだと。
大衆音楽においても、そこまでドラスティックな地殻変動や突然変異が起こったわけでもなく、「何か新しいもの」の萌芽があるようでなかなか現れず、要するにゼロ年代の文化は90年代の文化の延長であり、地続きなのだ、という、これまたしごく当たり前の事実を突きつけられつづけた拍子抜けの10年だったように思います。もちろん、まったく進歩していないということはないでしょうし、素敵な作品がいっぱい発表された10年ではありましたが、21世紀になったからといって唐突に未来的なサウンドが現れて総ての音楽パラダイムを塗り替える、というような出来事は、この10年間では遂に起きませんでした。
さて、このKK NULLの「Extropy」は、ある意味では時代錯誤的ですらあるほどの「未来らしさ」「21世紀らしさ」を、飾り立てのない正方向のベクトルで吐き出した正統派の「21世紀サウンド」であり、もう恥ずかしいくらいにピコピコでペコペコの電子音が容赦なく飛び交い衝突し対消滅する、まさに絵に描いたような「21世紀の音楽」であります。しかし、60年代や70年代の人々が「21世紀の音楽」として想像していたようなそうしたピコピコでペコペコの電子音楽はそのまま80年代に消費しつくされ順列可能性が出尽くしてしまい、もはや様式美化し厳然たる「20世紀のクラシック」として隠居しているような存在であり、今の潮流はむしろそれすらノスタルジーとして止揚したポスト・ノイズ、もしくはSunn O)))のMVYMR概念のように音響的・物理的なレゾンデートルを模索する方向へと進んでいます。要するに、完全に時代遅れです。でも、KK NULL(ex. Zeni Geva)は何の臆面もなく、正々堂々とこの時代遅れな「21世紀サウンド」を21世紀の今にぶつけてきました。
ゼロ年代のわたしたちにとって衝撃だったのは、それが90年代の単なる延長であり、結局何も解決されないまま棚上げされてしまった時代でしかない、という残酷なまでに当たり前の事実を爆弾テロとネオコンという形で突きつけられたことであり、「何か新しいもの」を求めて旧世紀の価値観のまま21世紀にやって来たわたしたちにとってこの10年間はだからこそディストピアそのものでした。戦争も経済も宗教も文化も道徳も、総て20世紀のお下がりであり、何一つとして「新しいもの」なんてなかった。
でも、その「何か新しいもの」を見出すのも結局、わたしたち自身であるはず。そしてその「何か新しいもの」はわたしたちのイマジネーションの中からしか産まれ得ないはず。
ピコピコでペコペコの電子音楽ははるか大昔に先人たちが「21世紀っぽい!!!」と夢想したものの焼き直しに過ぎないかもしれないし、実際にそうなんですが、しかしそれは「何か新しいもの」を必死に想像して考えた先人たちがかつて確かに存在していたのだ、ということのかけがえのない証明でもあります。
喪失のディケイド、ゼロ年代最後の年にKK NULLがわたしたちに問いかけた、60年代少年マガジンの巻頭グラビアが如き「懐かしい未来」、「21世紀の音楽」は、時代遅れのオールド・ファッションに身を包みながらも懸命に、かつて未来に希望を託した時代が確かにあったことを叫んでいるように聴こえるのです。「何か新しいもの」を求めて、懸命に生きた時代があったことを。
現実の21世紀は想像よりもかなり灰色の時代になってしまいましたが、まだ、あと90年あります。この余りにも場違いな「21世紀の音楽」が、わたしには何かポジティヴな散文詩であるかのように聴こえたのです。これが2009年の、わたしの第1位です。




・・・ということで2009年の大衆音楽作品10選は以上のようになりました。
以下、次点。

John Zorn 「O'o」
Masters of Reality 「Pine / Cross Dover」
Eternal Elysium 「Within the Triad」
Shrinebuilder 「Shrinebuilder」
Nadja 「When I See the Sun Always Shines on TV」
Black Cobra 「Chronomega」
Wino 「Punctuated Equilibrium」


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次点作品の中で特に良かったのが、Masters of Realityの「Pine / Cross Dover」。あらゆる意味でヘヴィネスを削ぎ落とされた「肉抜き」のロックが不思議な浮遊感を伴って揺曳しているような、実に奇妙な音楽体験を提供する文字通りの「音楽的な畸形児」です。John Mclaughlinにオマージュを捧げた、とかChriss Gossがよくわからないことを言っているのもミステリアスさに拍車をかけていますが、とにかくここまで意図的に軟弱なサウンド・プロダクションを施した作品でありながら、文法や修辞はロック言語そのものである、という何とも不可思議なワンダー・ワールドへとリスナーを誘い、場合によっては引きずり込まれたまま戻ってこれなくなる可能性があります。それくらいアクが強く、クセになるサウンドスケープです。その意味では個人的に2009年最大のインパクトを提供した作品でした。

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また、John Zornの「O'o」は直球のインストゥルメンタル・アルバムで、特に2009年、Great Jewish Musicシリーズに傾倒していた自分としてはJohn Zornのライトサイドの暫定的な高度を知ることができた意味で重要な作品でした。1曲目の「Miller's Crake」から重く引きずるようなベースのスライドが死ぬほどカッコ良かったし、完成度の高いインストゥルメンタルがいっぱい詰まった作品なのですが(絶滅した鳥類をテーマにしたコンセプト・アルバムらしい)、中でも白眉は「Kakawahie」。メランコリックなメロディが実に"Jewish"に推移する奇跡のような名曲で、何度も聴きましたね。「Kakawahie」は2009年を代表する1曲に数えられるべき名曲だと思います。




次に、逆に期待していたけどそんなに良くなかった(とわたしが思った)作品。
ここではあまり多くを語りませんが、その筆頭となったのがSunn O)))の「Monoliths & Dimensions」。
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現代音楽がナンなのかも詳らかにはわからないしヘヴィ・ロックについてもまだまだ不見識の多いわたしですが、やっぱりSunn O)))の真骨頂はMVYMRであり、「ここまでヤるか?!」という限界突破のクレイジーな轟音・爆音志向こそがSunn O)))の真髄なのだと思います。個人的には、メタリカの「For Whom the Bell Talls」をわけのわからない超重爆音でボコボコにコピーしてMerzbowと轟音核融合した「Flight of the Behomoth」辺りがやっぱり頂点だった気がします。あの頃はまだロックの香りがしていました。ロック=バカです。バカ=ロックです。そして、ロック≠(not equall)お利口さん、です。要するに、いまのSunn O)))は自分にとってはこまっしゃくれたお利口さんの音楽にしか聴こえません。バカの素晴らしさは、半歩先の行動がまったく予想できないことです。次から次へと繰り出される「予想外」の連続にわたしたちは恍惚となり、どっぷりと中毒的に耽溺していくのです。だからこそロックという文化はここまで発展してきたのです。対してお利口さんは基本的にマニュアル駆動なので、次の行動がある程度予測できます。行動がパターン化しているので傍観者のわたしたちにしてみたら、あまりおもしろくありません。
何もロックを学術的に精査する試行が悪いとは言いません。何か、ジョン・コルトレーンとかマイルス・デイヴィスみたいでカッコいいしね。でも、それとその音楽がおもしろいかどうかは全く別の問題です。個人的には、ヘタでもバカでもいいから「おもしろい」音楽が好きです。その意味で最近のSunn O)))はあんまりおもしろくないです。正直、ゴシック・メタルが如き訥々としたセリフの裏にかぶさる不協和音、とか、ネタ音楽としての素養は充分なので、エクストリーム・ネタ・メタルへと転生を遂げて欲しい気分でいっぱいです・・・・・なんて言うとMVYMR的には間違いなんでしょうか?でも、わたしはやっぱりMVYMRってもっと「おもしろい」概念だったと思うんです。「White1」の辺りとか、普通に無茶してておもしろかったです。あの頃のSunn O)))に、もう一度会いたいです。

theeternal.JPG
ロックをアカデミックに敷衍しようとする試みが悪いとは言わんけど、それと音楽がおもしろいかどうかは別・・・という意味で、Sonic Youthの「The Eternal」もSunn O)))と同じく、個人的にあんまり良いと思わなかったです。何かインディーズに返り咲いてイチから出直し、みたいに盛大に太鼓を叩いて日本ではTシャツ付きの初回限定盤が非人道的なぼったくり価格で売られたりしていましたが(当然、買いませんでした。輸入盤で充分です)、個人的には「Daydream Nation」の頃からどこがどう変わっているのかよくわかりませんでした。というか「Daydream Nation」の頃にあったツッパリ根性というか、暴走族が汚いカワサキに乗り回してラッパを吹きながらジョルジュ・バタイユを読んでいるような異文化侵略性が、あまり感じられませんでした。聴いてて途中で寝てしまいました。「Eliminator Jr.」みたいな必殺の曲があれば、もうちょっと印象が変わったのかもしれませんが・・・。個人的にはSonic Youthももっともっとバカでおもしろい音楽を作れる気がするので、次回に期待です。
繰り返しますが、ロック=バカなのです。バカ is ロックです。がんばれ!  ・・・まあ、Sonic Youthはもう「ぬるま湯」が規定路線になっているので、「The Eternal」もその意味では充分に優れた作品なのかもしれませんが・・・。




あと、2009年といえば80年代~90年代前半に発表された日本のアンダーグラウンドの作品が多くリイシューされたことも忘れてはなりません。獅子奮迅の働きをしたのがディスクユニオン傘下のP-ヴァインです。想い出波止場の全作品リイシュー、羅針盤の初期3作品リイシュー、そして突然段ボールの「抑止音力」をリイシュー、と、レコード会社としての最低限の責務をこの1年間で十二分に果たしたことになります。こうしたP-ヴァインの大車輪の活躍があって、遂にわたしも畢生の夢だった「抑止音力」を手に入れることができました!ほんとうにP-ヴァインさん、ありがとうございます。

yokushi.JPG
「抑止音力」は「くだらねぇバカ!くだらねぇ日本!くだらねぇクソ!」というあまりにも圧倒的に素晴らしい歌詞によって日本音楽史に永遠に快癒することのない傷跡を刻み込んだ「夢の成る丘」を収録した、カルト・アルバム中のカルト・アルバム。ロックが大衆音楽として俗転していく過程を痛烈に批判したこの作品は、日本だけでなく世界規模で音楽の消費構造が変わり、大衆芸術そのものがその存立意義をリセットしていまいちど模索しつつある混沌とした時代の今だからこそ、むしろより強い意味を帯びてその破壊力を増しているようにすら思えます。この機会に是非、一度聴いてみてください。


また、2009年は関西のインディーズ・シーンを支えてきたアルケミー・レコードのオンライン・ショップが完全に閉店し、小売業から撤退した年でもありました。それについて拙ブログでも雑感を書いていますが(実はJOJO広重さんのブログにそれが取り上げられて、少しだけアクセスが増えたことがあったりしました)、ほんとうに音楽の消費構造が確実に変わっているのだ、ということを身をもって痛感した気分になりました。AMSが終わったことがショックだったのではなく、むしろAMSがなくなってもインディーズを取り巻く産業構造がとりたてて変化することもなかった、というその事実がショックだったのです。第三の波として情報産業時代を迎えて以降、着々と何かがゆっくりと変化していきましたが、ゼロ年代最後の年にわたしたちは遂に、消費の力学が根本から変わってしまったことを期せずして知ることとなったのです。






・・・・・さて、2009年の大衆音楽は、個人的には以上のようなものでした。特筆すべきは、ゼロ年代最後の年にやはりAMSが完全閉店し、小売と卸流通におけるAmazonの帝国主義的一元支配がほぼ完成したことだと思います。また、その時勢にP-ヴァインが(というか、反Amazonのリアルショップとしてほぼ唯一黒字経営を維持している旧時代の数少ない残党であるdiskunionが)突然段ボールの「抑止音力」をリイシューしたこと。この2点が、次の一年、次のディケイドを占う上で大きな意味を持っていくものと思います。「抑止音力」のジャケットには、以下のような碑文が刻まれています。

『既成事実とこれを推進する向きとの漠々とした対決』

ロックとは糞尿ぶっつけ音楽であり、マイナー・パワーを炸裂させることであると。間違っていることに対して、大声で「間違っている!!!」、と叫ぶことであると。
何かが確実に失われ、何かが確実に変わっていったこの10年でわたしたちは新たな悪意と、新たな矛盾と、新たな理不尽と遭遇しました。糞尿をぶつけ、負の叫びを叩きつける相手は揃っています。ロック文化の基本理念が使い古された時代遅れのものだなどと、いったい誰が言えるだろうか。むしろこれほどまでに不条理と理不尽が横溢した時代にあって、誰がそんなことを言える?
ロックがもう一度ロックとして転生し降臨するときは、そんなに遠いことではない・・・・・かも。


また、個人的には今年は200枚以上のCDやアナログ作品を買い、音楽鑑賞という趣味を充分に楽しめた一年でしたが、反面で新譜の占める割合が圧倒的に低かったりします。Slayerの新譜をはじめとして、まだまだ聴いていない2009年の音源がいっぱいあります。それらをリアルタイムでフォローし切れなかったことも残念ですが、もっとも残念なのは、自分があまり得意ではないジャンルに対してつい勇み足になり、勇気をもって踏み出せなかったこと。これからは何でも恐れずに吸収していく必要があります。
良かったことは、メタルをだいぶ聴けるような体質になってきたこと。いままであまり聴かなかった音楽を積極的に吸収することで、視野が変わります。これは非常に大きいことです。

2010年はまず年明け早々にSIGHの新譜が出ます。Church of Miseryのライヴ盤も出ます。大衆音楽は休むことなく回りつづけています。ゆっくりとですが、何かが確実に変わっていくこと、そしてそれがわたしたちにとって幸せな変化であることを願います。
あけましておめでとうございます。
本年もjunkieはグログロでゲロファックな一年を送って盛大にfuckin hostileをfuck upして悔いのないfuckin yearにしようとfuckin思っています。今年もfuckinよろしくお願いfuckinいたしfuckinまfuckinす。


・・・さて、それでは本年一発目のネタです。

毎年この時期になると郵便箱にいろいろな年賀状が届きますよね。意外な親戚知己から届いたり、塾とか美容院から届いたり、たまたまライブハウスで配られたアンケートに住所まで書いてしまったばっかりに射幸心高くマルチ・ポストに余念のないハイエナが如きアマチュア・バンドの方から届いていたり、これまたたまたま展覧会で記帳するときに住所まで書いてしまったばっかりに某I集院先生から届いていたり、キャパシティの範囲内から判断に困るものまで、さまざまな年始の挨拶が多幸感でボケきった年始の心を早くも現実に引き戻してくれますが、今年はわたし宛にこのような↓年賀状が届きましたよ。

letter_from_stingray.JPG


差出人は日本最強のDVDメーカー、スティングレイ
内容はというと、

「全ファン待望の・・・ ゾンビ 新世紀完全版[5枚組] 2010.4.23 RELEASE !」




( ・ ∀ ・)?


「全ファン待望の・・・ ゾンビ 新世紀完全版[5枚組] 2010.4.23 RELEASE !」



( ゜∀  ゜) ?!


「全ファン待望の・・・ ゾンビ 新世紀完全版[5枚組] 2010.4.23 RELEASE !」



ギャーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

ジョージ・A・ロメロ大先生の天上天下唯我独尊天衣無縫独立不羈の超絶的大傑作「ゾンビ」が!!!!
満を持して我が国でも画質・音質パワーアップの特典テンコ盛り5枚組アルティメット・エディションでリイシュー!!!!
しかも製作はあの日本最強国士無双DVDメーカーのスティングレイ!!!!!!!


こいつはすげぇ!!!まさに盆と正月とクリスマスがいっぺんに来てダイムバッグ・ダレルが地獄から這い出して出雲でPANTERAが再結成ライヴしているような凄まじい奇跡!!!
生きてて良かった!!!!!



「ゾンビ」はジョージ・A・ロメロ先生の超ウルトラ凶悪大傑作で全人類必修の名画中の名画ですが、我が国ではその評価に見合ったスペックでDVD化されたことがない不遇のタイトルです。最初のDVD化はカルチュア・パブリッシャーズの米国劇場公開版だったと思いますが、モノラル音声でノン・スクィーズ、その後ハピネットから廉価版でリイシューされましたがやはりスペックの向上やボーナス・フィーチャーの添付は実現しませんでした。その間、海外ではAnchor BayからDTS音声とジョージ・A・ロメロのオーディオ・コメンタリー収録、米国劇場公開版とカンヌ映画祭出品版とダリオ・アルジェント編集のヨーロッパ版の全3バージョンを同梱、更にドキュメンタリー・ディスクまで付いた4枚組という完膚なきまでの文字通りのUltimate Editionが発売され、日本のファンはずいぶんと悔しい思いをしたものです(仕方ないので海外からこのUltimet Editionを取り寄せた、というファンの方はかなりおられると思います)。

今回、いよいよ日本でもアルティメット「ゾンビ」が降臨、否、raise hellすることになったわけです。この人類史上に燦然と輝く超絶の大傑作のDVDを製作するのはあのスティングレイ。映画への愛情という意味では天下に比するものなく、ユーザー本位のクリエイションを何よりも富岳の重きに置く硬派なスタンスで総ての映画ファンから神格化されている最強のDVDメーカーですから、クオリティに関してはほとんど心配要らないでしょう。しかも今回アナウンスされているのはAnchor Bay版の4枚組より1枚多い5枚組。恐らく、これはわたしの予想ですが、「メテオ」の小惑星爆発場面を流用してアヴァン・タイトルに挿入した「ゾンビ」の日本公開版が今回、初めてソフト化されることになるのではないでしょうか?!だとしたらDVD史に残る歴史的な快挙ですが、あのスティングレイですからやってくれると思います。また、当然、スティングレイですから日本語吹替(TV放映音源)も収録だと思います。
もしこれらの予想通りに、本家Anchor BayのUltimate Editionを凌ぐ凄まじい鉄壁の仕様で発売されるなら、日本中の「ゾンビ」ファンは感極まって滂沱と落涙し、スティングレイがある方向に向かって一日三回祈りを捧げることでありましょう。まあ、何せあのスティングレイですから、ほんとうにやると思います。

さすがスティングレイ。やはりスティングレイ。


もう、日本の総ての映画ファンがスティングレイにメロメロだと思います。スティングレイ、最高過ぎます。
おばあちゃんから「ゾンビって店から年賀状が届いとるよ」と言われて渡されたときにはいったい何が起こったのかと思いましたが、素敵な年賀状でした!ありがとう、スティングレイ!!!

そして、総ての映画ファンは4月23日を震えて待て!!!
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プロフィール
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自己紹介:
島根県のハードコアバンド、ヤンキー少女改め、SOFT、改め爽やかJ-POPデスメタルバンドPOSTOVOIのギター・ボーカルです。

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