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島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
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一冊の本が人生を変え得るほどに人を感化することはよくあることだと思う。読書をする、という営為は叡智との対話でもある。しかも、それは本というoutputの背後に広がる無辺の叡智である。

 

人間のつくったモノは、どんな人間が作ったにしろ世界との連関、ひしめき合う差異性のリゾームrhizomeの連なりの先端にある、円を描いて拡がっていく波のようなもので、つまりはそれと接することは世界そのものと交信していることに等しい。

そう考えると音楽というのも末梢の個人が連なる莢雑混沌とした根茎世界の縮図に他ならないはずだが、音楽を聴くということはそれと対話をしていることになるのだろうか。それはわからないし、恐らくこれからもわからない。

 

 

「人生を変えた」というのは、あとになって省察してみないとわからない。何年も年輪を重ねたあげくに記憶に経年劣化の断裂が生まれ、その空虚に何かを当てはめることもできるかもしれない、とにかく格別の愛着というのは年月の重みによってしか醸成され得ないのだろう。

 

自分は21年生きてきて、音楽をソフトウェアやコンテンツとして消費するようになったのは最近の5年くらいのこと。急に言われても、よくわからない。自分はひょっとすると音楽をファッションとしてしか消費していないのかもしれない。しかも著しくゴスなファッションだ。最近の自分は暗い音楽にしか感応できないのだから。共振する周波数のレンジが狭まっている。極端に狭まり、聴き方を限定している。これはあまりよくないことだ。何にロックを感じるか、というとリフよりもサウンド・プロダクションを重視するようになっている。Popとは「過剰」の別称である。過剰に歪んだ音、過剰に強調された音、過剰に加圧された音、それらはみなpopに自分の耳に飛び込んでくる。それで心地いいのか、と聴かれれば、おそらくそうではない。CDを聴いているときにだけその音と同期し、恍惚となっているが、いざ音楽が鳴り止んだなら、たちまち酩酊感は消尽する。

 

昔、the Doorsの"Music is Over"を聴いて激しく感動した。このひと(Jim Morrison)はよくわかってる人だ、と何もわかっていない自分はそう思った。何もわかっていなかったけれど「よくわかっている」と感じさせるだけの強いエネルギーを感じたのだ。今でもあの感覚はウソではないと信念に基いて断言できる。でも、いまそれと同じものを感じるのか、と聴かれたら、おそらく違うと思う。その刺激に耐性ができてしまったのだろうか。わからない。ただ、おそらく予定調和に終わってしまうだろうと思う。

Eternal ElysiumのCDはひとの心を強く揺さぶってはくれない。ただ、重厚無比の低音の集塊が物理的に身体を圧迫する。それが快感なのだから優れた音楽と言わざるを得ない、だけど、「音楽が鳴り止んだら、明かりを消してくれ」と歌ったJimの電光火花が飛散するかのような焦燥はそこにはない。

 

Dopeから覚め、禁断症状が現れる、なぜならそこには現実があり、そこには自分しかいないから。音楽が鳴り止んだら、だから、明かりを消してくれ。

 

世界の真実というものがあるなら、そういうことだとわたしは思った。冷徹と雁行して去来する苛立ちと、絶望と、諦観と、そして嘆きと怒りと焦燥が、わたしに「何かしろ」と催促した。

 

「何かしろ」、と言ったのだ。

それは10代最後の夏のことだった。
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定期演奏会が終わりました。わたしはPOSTOVOIという4ピースバンドのギター・ボーカルとして出させて頂きました。そうですね。まずは何から話しましょうかね。


演奏に関してですが、わたしは、とっても良かったと思ってます。終わったあとITO O)))は不服そうでしたが、わたしはとっても良かったと思いました。ノレる、ノレないは重要な問題ですが、ああいう場で極限までテンションを上げられない、というのは、もう完っ全に個人の自覚の問題だと思います。ピッチに立つ前にメンタルをピークに持っていけないサッカー選手が良いプレーが出来ないのと同様に。そういう意味で、わたしはITO O)))の落胆には与しません。まあ、お互いがんばりましょう。
カンフル剤をくださった福田さんには感謝です。ありがとうございました。ほんとに。

まあ、でも、そんなこととは別に周囲のPOSTOVOI評というかジャンキー評には、何がしか冷たいものがあるようです。世間様はやっぱり、わたしたちのようなバンドに対しては、あまり寛容ではないようです。わたし、できるだけ客席で演奏を見るようにしていたのですが、少なくとも今回の客層は完全に、わたしたち向きではないと感じました。それをプレーでねじふせるのが理想なのですが、正直、あのひとたち、歩み寄る気もないんじゃないだろうか、とさえ思ってすごい悲しくなりました。少なくともBACK NUMBERさんに対する種類のレスポンスはPOSTOVOIでは皆無でした。どうすればいいんでしょうか。
ほんとうに、音楽って何でしょうか。わたしなんかはジャニーズとブラック・サバスって同じレヴェルですげえかっこいい音楽だと思ってますけど、たぶん、昨日のお客様とかは、そういう思想とは絶対に違う気がします。まあ、音楽の内容よりも装飾の方を重視して聴くやり方が悪いとはまったく思いませんが、でも、やっぱりそれは理想的な音楽とのふれあいではないような気がします。そういう人は、ミクシィで馴れ合いを作って閉鎖的に群れていれば、いいんじゃないでしょうか。いっそのことCDも聴かないで、ジャケットだけ飾ってバンドメンバーやライブハウスの人とじゃれ合ってれば、いいんじゃないでしょうか。
「それじゃいかんだろう」、と声を大にして言いたくて集まった連中がPOSTOVOIだとわたしは思っています。テクニックだけが能じゃないだろう、奇を衒うだけが能じゃないだろう、気取るだけが能じゃないだろう、口先の言葉を吐くだけが能じゃないだろう、安易な予定調和で終わるだけが能じゃないだろう。そういう思いを込めてPOSTOVOIをやってきたつもりでしたが、結果的に、何も伝わってなかった気がします。それはこっちの力量の問題なんですが。でも、なんかこう、もっと視野を広くしたほうが絶対に良い気がします。お客様、もっと、音楽を音楽として聴いたほうが、もっともっと楽しいと思います。だから、目くそ鼻くそのような島根のライブハウスに高い金を払うのもいいですけど、もっといっぱいいろんなCDを聴いて、世界を広げてみてもいいんじゃないでしょうか、ってわたしなんかは思ったりするんですが、偉い人にはそれがわからんのです。

とはいえ、演奏していたそのほかのバンド、すごい良かったと思います。ベスト・パフォーマンス賞はテディベアVだと思いますし、ベースの低音で頭蓋骨を揺らしてくれたのはBACK NUMBERでしたし、死ぬほどヘッドバングできたのは軽音オールスターズでした。とりあえず、皆様、おつかれさまでした。


あと、昨日は幹部の交代がありましたね。旧幹部にはまずは一年間おつかれさま、と言いたいですが、まあ、そういう予定調和だとクソもいいとこなので、客観的に批評するべきところは今後のためにもやっておいたほうがいいと思いますので、文句を書きます。
旧幹部のみなさま、退任のスピーチで一貫して「みんなおれたちのこと嫌ってたかもしれないけど、でもほんとはぼくたちがんばってたんです。影で」という主張をされていました。もっともだと思います。わたしはどちらかといえば批判派の人間でしたが、何かとK藤くんが走り回っている様子を伝え聞き、「大変だなあ」と思ったことが何度となくあります。ですが、結局それが下々に伝わってなかった、ということは事実です。対話の不足、独裁的な治世など、まあ、思い当たる節、いろいろあるかと思います。リーダーシップと言うか求心力、人身掌握力の不足などを棚に上げてる感じをビンビンにわたしは感じました。それは、あまり良くないことだと思います。それらの己の不明の解消に苦慮し、はじめて「歩み寄りに努力した」と言えるのだと思います。S倉くんがシーズンの終盤で「みんなから文句言われるのは承知のうえです」とかなんとか申し開きしてるのを見て、わたし、すごい悲しくなりました。そうじゃないだろうと。その文句のひとつひとつに対するレスポンスが、あなたたち、決定的に欠けてるだろうと。誰も自分が言いたいことだけ言ってるわけじゃないと思います。みんなこの部活のことをみんななりに考えて、それでクレームを出しているわけであって、そのひとつひとつを汲み取るにしろ否定するにしろ、真摯な対応はもっともっともっと出来たはずです。それだけがほんとに、この一年間、わたしは、まるで変わらなかったな、と思いました。これが普通の団体なら、「来年がんばって」で言いのですが、残念ながら我が学生サークルは一年交代制です。悲しいですが、旧幹部というチームはここで終わったわけです。次の一年を作っていく新幹部のみなさん、万事が快調というわけではないでしょうが、どうか、「部員あっての部活」という視座は、忘れないでいてほしいです。がんばってください。
わたしも、反省すべき点が多々あります。山内さんに、「みんな仲良くしてね」と言われました。もっとも難しい命題です。達成できたか、と言われたら、残念ながら首を横に振らざるを得ません。でも、長期的にみればみんな仲良くしたほうが良いに決まっているので、がんばろうと思います。


最後に、S倉くんが寄稿したパンフレットの序文、わたしは感動しました。「ROCKを以って、世界に掛けられたLOCKを解放しよう」。非常に素晴らしい文章だと思いました。これを読んで何かを感じない人間は、クソです。ゴミです。来年は4回生になってすっかり隠居の身ですが、お互い、この精神を後輩たちに啓蒙していけたら、すごい良いことだと思います。

来年の抱負は、そうですね、「軽薄なミーチャンハーチャンどもは容赦なく魔界へ。」これですね。音楽を自己保身の道具に使うことをやめるひとが増えれば、もっとこの部活のコンサート、良くなると思います。
まあ、来年もがんばりましょうや。
今日、部室でテディベアVの練習を眺めながら、人生についてぼんやりと考えていました。最近のわたしの関心ごとは、「神様というシステムをどうやって潰すか」、という危険思想なんですけど(昨日も爆音でSWANSの「COP / YOUNG GOD / GREED / HOLY MONEY」を聴きながら夜の道路に座って悪魔に味方する方法を考えていたところです)、そういうこととはまた別に、人生について考えていました。

みんないろいろあったんだな、これからは別として、これまでいろいろあったよな、大変だったよなあ、と、そういうことを思っていました。あの人はわたしのことを許してくれているだろうか、あの人はわたしのことを覚えていてくれるだろうか、そういうことを思うとき、きまっていつも悲しくなるに決まっているんですが、やっぱり今日も悲しくなりました。家に帰ってゲームをして、家族とごはんを食べて、飼い犬に話しかけて、それで今はパソコンのキーボードを叩きながらブラック・サバスを聴いています。

いつかもっと大人になったとき、またあの人とか、その人とか、この人とかと再会することがあるだろうか。だとしたらそのとき、何を思うだろうか。

内需が壊滅して実態経済が遂にドン詰まりに没落していく渦中、世界はとりあえず常に既に終わっていて狂っていてほんとにほんとに悲しい、ほんとにほんとに、なんで産まれてきたんでしょうか。教えてくれなくてもいいけど、でも、わかってくれますか、この思い。
わたしはなんで生きているんでしょうか。誰か殺してくれれば、すごいラクなんですけど。とりあえず、中途半端な功利主義を謳うひとたちの顔はしばらく見たくないんですよ。いつかまたあなたたちと、笑って会えれば、それはすごいいいことですよね。でもいまはそういう気分じゃない、あなたたちを観てると死ぬほどムカつくので、その苛立ちが収まるまで、会いたくないんですよ。縁があったらまた会いましょう、そしてそれが良い喜びの萌芽となれれば、すごい良いことのような気がします。
smiling_icecream.JPG 

オルタナティヴが好きです。ロックとかはどうでもいいんです。むしろロックなんか嫌いです。好きなマンガ、好きな音楽、そしてできれば好きな他人といつまでもオルタナティヴしていたい。Melvinsの、ブオーンっていうベースの音が最高に気持ちいい。ずごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん鼓膜が死にそうになるけど、自殺願望まみれの自分にとってはそれでいいんです。殺して。誰か。そして、オルタナティヴにして。ヘヴィ、メタル、ミー。ずごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。

文化祭で木村カエラのコピーをする関係ですごいギターを練習しているんですけど、田渕ひさ子女史の作曲の「C-hildren」という曲が、なかなか良いです。日本にアンダートーンズみたいなバンドがあれば、やっていそうな和風な湿度の程よいギターポップで、なんか良いです。ちなみに、自分はナンバーガールを経験してこなかった人間であり、まったくリスペクトを感じないのでひさ子ブランドにはそれほど食指が動かないんだけど、でもこの曲はなんか普通に良いと思う。ゲロゲロに良い、というわけではないのも愛嬌というか、世の中そういうものである。
でも、文化祭が終われば、もうこの曲弾かないんだよね。少しさびしいね。ひとりでやってもつまんないパートだから、バンドでやらないと意味ないんだよね。こういうとき、バンドって尊いものだということがわかる。バンドはいつか終わる。人間がいつか終わるように。ギターは壊れる。人間も壊れる。音楽も壊れる。ひとつところにずっと定住してはくれない。だからおもしろいかもしれないが、でも、それは、とてつもなく悲しい。とっても。とっても悲しい。



ベースがフィードバックすると、アンプは8発もあるから、鼓膜死ぬよ。でもベースって鼓膜を攻撃するための重爆撃機だから、別に良いよね。だから、ベースが好きです。
ずごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。

巷で話題の西部謙司・著の「サッカー戦術クロニクル ~トータルフットボールとは何か?~」を読了。
帯には「戦術をここまで語った本はありません!!!」と殺気立った売り文句が踊っているが、まぁ、誇張ではないだろう。リヌス・ミケルスの1974年のオランイェは耳にタコができるほどどっかで聴いたことある話ばかりだが、ほかと違うのは「でもこいつらより先にトータルフットボールをやっていたチームはあったのだ」という展開へ接続させることを前提に書いていること。「戦術を語る」と大々的に喧伝しながらも、裏では「サッカーは戦術ではない」という素晴らしいスタンスをハッキリと提示しているあたり、すごいと思う。確かに、そういう意味ではいままでのサッカー本ではなかった種類の本である。オシム監督の影響が伺える。

いちばん心を打ったのは、第二章の「ACミランのルネッサンス」。靴のセールスマンから果てはアッズーリの監督にまで上り詰めたアリゴ・サッキの殺人機械の話である。これは、サッカーファンなら概要くらい最低でも知っているだろう有名な話だが、知っているつもりが実は肝心な部分を見落としていたりするもので、サッキのACミランが世界に衝撃を与えた驚愕の4-4-2がどのようなものだったかをここまで体系化してロジカルに説明した文書をわたしは読んだことがない。是非一読するべきである。日本のサッカー界でもプレスやハードワークの重要性を説くことはもはやトレンドとなっているが、どうも本質を見誤ってはいないか、という感がある。コンパクトフィールドもフォアチェックも目的ではなく手段である。そのことをこの章ではこれでもか、とばかり言っている。特に「サッキのプレッシングとは、いわば敵陣でのカテナチオであったのだ」という文章には、思わず胸が切なくなり、心が震えた。
ACミランはバレージとルート・フリットとファン・バステンがいたから機能したのだ。
1974年のオランイェはクライフがいたからこそ機能したのであり、モウリーニョのチェルシーはドログバとマケレレ頼みだ。
この本を読めばそれが痛いほどわかる。あのオシム監督もリスペクトしているというアルゼンチンの名将メノッティ監督の名言が心に残る。「サッカーが進化するのではなく、サッカーをやる人が進化するのだ」。また、オシム監督はこうも言っておられたはずだ。「人があってはじめてシステムが生まれる。システムが人を超えてはならないのだ」。

ヨハン・クライフが率いたアヤックスとバルサの3-4-3の基本理念は、「プレッシングなぞクソだ!!!そんなものテクニックさえあればどうにでもなる」。サッカーとは戦術のスポーツではない。クライフはサッキ以降、プレッシングの病理に苛まれた現代サッカー、ハードワークとスプリントのサッカーを「ノーテクニック」と一蹴した。

当然、個人技で劣っているチームがそれを補うためにシステムを使って連携していくのであり、わたしはシステムを否定しない。徹底的に計算されたオートマティズム、ロバノフスキーやサッキやモウリーニョのサッカーも観ていて楽しい。「ジャイアント・キリングこそサッカーの醍醐味である」を標榜するわたしとしては、たとえノーテクニックでもきちんと組織サッカーを忠実にやろうとするチームを絶対的に支持する。
しかし、そこに人がいることを忘れてはならない。システムありきではなく、まず人ありきでなければならない。システムが人を支配するのではなく、人のもとにシステムを造らなければならない。サッカーだけではない、実社会でもそうだろう?そう思わないか?後輩の出来が悪いのは、上回生がちゃんと教えてないからだろ。しかる前にきちんと教育しろよ。そうしないと出来るものも出来んだろうが・・・おっとっと。


ヴンダーチームとマジック・マジャールに言及し、かつそれにスコットランド・サッカーをリンクさせるという独自の仮説も提唱している辺り、戦術論を超えてサッカー史の研究としても興味深い。とにかく、この内容で1500円は安いと断言する。初心者にはやや敷居が高く、サッカーファンには既出ネタばかり、という「帯に短しタスキに長し」感は否めないが、一読の価値はある一冊である。
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島根県のハードコアバンド、ヤンキー少女改め、SOFT、改め爽やかJ-POPデスメタルバンドPOSTOVOIのギター・ボーカルです。

バンドとは別にソロプロジェクトとして、チップチューン・デス・メタルを追求するF.O.D(Fuck or Die)をはじめました。MySpace

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