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島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
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「時をかける少女」を観ました。


このアニメは作品そのものよりも歴史的な側面から語られることが多いです。竹熊健太郎先生のブログでも書かれていたとおり、そもそもこのアニメはジブリが「ゲド戦記」で撃沈していく歴史的分岐点と歩を合わせるかのように登場した、というドラマチックな経緯を持っています。ジブリと博報堂のような大規模なプロモーションを行わなくてもインターネットの俎上でうまくアピアーできれば同等の効果は得られる、というweb2.0に呼応したマーケティングでジブリの鼻を明かしたモデルケースとしても注目されました。経済学的には後者のほうでより意義深いですが、日本アニメの歴史を鑑みるにおいてはジブリと向こうを張るジャイアント・キリングを見事に成し遂げた、という点のほうが重要であります。まず、スタジオジブリが直々に次代ジブリの盟主として細田守監督をヘッド・ハンティングしておきながら、細田版「ハウルの動く城」は道半ばで凍結してしまった、という禍根。「ゲド戦記」でジブリの凋落が白日のもとに晒された、という衝撃的な受け容れがたい事実。「時かけ」が産み落とされるまでの過程はさながら日本アニメのルネサンスであり、ひとつの時代の開闢とそして終焉でもあったのだ、という解釈も可能でしょう。
ときに、本作のキャラクターデザインは貞本義行であります。ナディアとエヴァンゲリオンによって去勢されたわたしと同世代の人間にとってはこれまた感慨深いし、個人的には先日「王立宇宙軍」を観たばかりなのでそれもよりひとしおなのですが、このことはGAINAX一派が日本アニメに投じた功罪と、そしてそれを超克していこうとする歴史の大いなるうねりを感じさせるものだとも思うのです(実際、「時かけ」はそれに成功しているように思えます)。日本アニメはスタジオジブリの劇場版第1作「風の谷のナウシカ」を蓮見重彦(わたしはこの人物があまり好きではないんだが)が絶賛するまで「テレビマンガだった」(電脳的漫画論参照)。アニメというものをアートにまで高めたスタジオジブリのオリジネイターとしての偉大さと難攻不落のカリスマ性は、しかし、次第に温室のマニエリスムへと転化し、絶対君主・宮崎駿はシミュラークル化していく現代カルチャーから逃避するように作品を内向的なものへと貶めていく。もともと宮崎駿はぺドフィリアなので(これ言っちゃっていいのか笑)日本アニメはその出自から早くも「萌え」という名のアンチ・エイジングが運命づけられていたようなものでもあり、萌えとシミュラークルの氾濫という現代アニメの惨禍はいわばジブリが自らの子供に復讐されるという壮大なオイディプス神話でもあったのであります。また、庵野秀明がカウンターパンチのつもりで放ったシミュラークル・アニメの萌芽は次第に日本アニメを動脈硬化させてもいた。オリジネイターでありシンボルでもあったジブリの凋落と、改革者でありかつ保守派でもあったGAINAXのもたらしたアニメ文化そのものの停滞。細田守と貞本義行が関わった「時かけ」がそうしたドン詰まりの中で商業的な成功を収めている、という事実には何かめぐり合わせのようなものを感じます。
「時かけ」が静かに、しかし確実に投擲したものとは、何だったのか。これにはまだ議論を待たねばならないが、アニメから産まれアニメから授乳しそしてアニメから離れていった、総ての日本人は「時かけ」の商業的成功という事実を、そしてジブリ帝国の落日という辛苦をやはり真摯に受け止めるべきなのではないでしょうか。あなたは覚えているはずだ。エヴァンゲリオンが圧倒的な文化的な頽落をもたらしたときに感じたあの当惑を。宮崎駿の息子が「ゲド戦記」を監督する、ということを知ったときに抱いた違和感を。麻生太朗が「アニメを世界へ発信していく」と宣言したときに去来した怒りにも似た亡羊を。いまこの国のアニメ文化は大きくどこかへ舵を取ろうとしている。もしくは、消えてなくなろうとしている。かような歴史の分岐点で、「時かけ」ははからずも新世代のイコンとして、もしくは凄まじい淘汰の中で生まれた変種として、日本アニメのメルクマールという名の王位の戴冠を受けたような気がしてならないのであります。


作品の話をすると、普通におもしろいです。映画としておもしろいです。ここは案外重要で、娯楽としての最低限のクオリティがあってなおかつプラスアルファが望める映画というのは実際はものすごく少ないです。ケンスケとカヲルくんを足して2で割ったようなやつとトウジと伊吹マヤが三角関係をする話、と勘繰っていましたが、物語はもっと複雑な構造を持っており、普通に青春映画で良作であります。適当にロードムービーのようにしてカタルシスを先延ばしにしてどこがヤマ場なのかわからない、という映画文法が蔓延して久しいですが(特に日本映画に多い)、「時かけ」は見事にその悪しき凡作群とは一線を画し、マトモに普通な映画として観れる作品になっています。これは、何度も言いますが簡単にはできないことです。こういう映画を普通は「おもしろい」と言います。最近のアニメ・クリエイターはディティールやサブテキストに傾注するのは得意(要するに、ハッタリは得意)ですが、肝心のオハナシがそこいらに転がってる功利主義に毛が生えたような程度の噴飯物だったりして、村社会特有の腐臭がしてまことに困ったことですが、「時かけ」の商業的成功を契機としてぜひもう一度原点へと立ち戻るべきだと思います。
ただし、「時かけ」は完璧な映画ではありません。少なくとも、「悪魔のいけにえ」ほど完璧ではありません。致命的な誤謬はありませんが、少しいただけない部分があります。以下、どこがいけないか列挙します(注意:ネタバレを含みます。未見の方はご注意を!!!
  • 真琴が「千昭が好きだ」と言ったときのユリの対応は、女性心理的に見てどうなのさ。
  • いじめられっ子のタカセくんの描写がすごいあんまりだ。いじめられっ子が卑屈になるというのはよくある話だが、あまりにも卑屈すぎて単なるピエロになっている。タカセくんがかわいそうだ。PTAから抗議されても仕方ない。
  • 津田のキャラクターはできればもうちょっと掘り下げるべきだ。
あと、最後のほうで真琴が千昭のところに全力疾走する長回しの場面がありますが、そこでの真琴の息遣いがアエギ声のそれで、どうにかならんか、と思うがあそこはやっぱりそうするしかないのかも。

でも、そうとはいえやはり総合的に良い映画です。特に良い部分を列挙します。
  • 恋愛映画ではない(と思う)。驚くべきことに、キスシーンは1回もないし、手をつないでどうこう、という安易なパターンは一度も出てこない。これは非常に良いことだと思う。
  • 恋愛映画ではない(と思う)。恋愛の修辞学のようなものをさんざんひけらかして予定調和という文法が平然とまかり通っている(特にテレビドラマに多い)なかで、この作品ではそういう部分は極力おさえられている。これは非常に良いことだと思う。
  • 恋愛映画ではない(と思う)。最後には津田も付き合ってないしユリもタイムリープで付き合ってないことになるし千昭は消えるし。真琴と千昭がどうなるか、という保障はどこにもないし。だから、結局だれも結ばれていない。たぶん、真琴はこの先なんとか生きていくんだろうな、という予感はあるが、それすらもどうなるかはわからない。ただ我々に示されたのは真琴の決意の萌芽のみ。しかし、その見せ方があざとくなく、すごく自然に描かれている。要するに、ヘンにベタベタしてないし、「ほら!!!ここで泣け!!!ほら!!!」という見てて鼻につく演出上のあざとさが皆無。これは非常に良いことだと思う。
最後のタイムリープが大きなヤマ場となっていますが、すごい複雑なトリックで理解に少し時間を要する、ということを差し引いても、感慨深い。「いっけー!!!」と真琴が絶叫しながら超空間に飛翔する場面でわたしの脳裏によぎったのは、『わたしは真悟』でまりんのハンカチを下水道へ投げ捨てたときのさとるの「いってしまえー!!!」だった。ここでわたしが感じたのは「時間遡行なんかに頼らないほうがいいんだよ」という教訓めいたものではなく、さとるが「いってしまえー!!!」と叫んだように、真琴が「いっけー!!!」と叫んだように、子供が終わるということの悲しさと、伝えることのできなかった言葉を伝えようとあがくことの尊さであります。
真琴がどう成長したかとか、恋愛とは何だ、とか、そういうことはほんとうにどうでもよく、わたしがこの映画を観て感じたのはそういう部分。猶予された時間の中で敢えて自らカウントダウンを始めてしまう、この高校生のようなもどかしさがタイムリープを使い切るときの真琴の覚悟と重なって、妙にしんみりした気持ちになります。
「わたしは真悟」で楳図先生が投げかけた問いは、こうして形を変えながらも「時かけ」へと受け継がれていったのだろうか。

「忘れないよ。だから、忘れないで」(「時かけ」のキャッチコピー)。


夏も折り返しにさしかかろうとしています。


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自己紹介:
島根県のハードコアバンド、ヤンキー少女改め、SOFT、改め爽やかJ-POPデスメタルバンドPOSTOVOIのギター・ボーカルです。

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