忍者ブログ
島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
[180]  [179]  [178]  [177]  [176]  [175]  [174]  [173]  [172]  [171]  [170
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

突然ですが、あなたは自分の父親を尊敬していますか?


おれはその問いかけに対して、たぶん、今なら、迷うことなくイエスと答えます。
でも、昔はそうじゃなかったです。たぶんさんざんためらった挙句に、ひょっとしたら逆の答えをしていたかもしれません。でも今はやはりイエスと言うと思います。
なぜか?

これからその理由を話したいと思います。



1974年3月、フィリップ・K・ディックはある日突然ピンク色の光を浴び、ラジオの電波に混入した恐ろしい音声を傍受し、飼っていた二匹のペットが突然変異を起こしたことを知り、そして、神からのメッセージを感じた。その体験をもとにして上梓されたのが、かの人類史上最狂の大怪作『ヴァリス』です。フィル・ディックが現代文学史に屹立する唯一無二の孤峰であることはもはや論を俟たず自明のことだけど(そしてきっとそうであるはずだけど)、『ヴァリス』をはじめとするキャリア最晩期の幾つかの作品群は、あたかもフィル・ディックを開祖とする新興宗教の儀典であるかの如く禍々しいまでの宗教色を帯びているがゆえに、しばしば敬遠され、もしくは忌み嫌われ、そのそもそもの文学的価値が顧みられることは少ないように思います。けっこうおもしろいのに。

とはいえ、いまここで語りたいことは『ヴァリス』をめぐる学術的過小評価に対する悔悟ではなく、また、なぜある程度成功した商業作家は、フィル・ディックやアーサー・コナン・ドイルやはては『エースをねらえ!』の山本鈴美香を筆頭にオカルトに耽溺してしまう人間が多いのか、という行動人類学的疑義でもなくて、いまここで言いたいのは、時に人は、それを信じようと信じまいと、望もうと望むまいとに関わらず、神の声を聴いてしまうことがある、そして、そういった霊感を感じたときに、そこから人はもっとも根源的な事実を学び取るのだ、ということです。





話をもとに戻します。


大学の3回生の頃、何とはなしに昼下がり、空コマでヒマだったので軽音部の部室でねっころがって『アカギ』のペーパーバックを読んでいたときの話です。『アカギ』を読んでいて「金こわい」「ヤクザこわい」「マージャンこわい」「社会こわい」という、圧倒的な恐怖を感じ、社会は恐ろしい、大人は恐ろしい、この世界で金を稼いで生きていくということは本気で恐ろしいことだ、と思ったとき、ふいに、こう思ったのです。「ところで自分がいる今の世界、今の社会はどうなんだ?おれが育ったこの社会が恐ろしいとして、おれはいったいナニに、誰によって守られてきたんだ?」
そして、閃いたのです。
「あ、おれを守ってきたのは親父だ。恐ろしい社会と渡り合い、金を稼ぎ、おれを養ってくれたのは親父じゃないか」、と。大人の責任を果たし、おれを育ててくれたじゃないかと。

中学や高校の頃にもそのことは漠然とわかってはいたけど、「だって親だから当然でしょ」「それが親の義務でしょ」と思って、特別に感謝したりはしなかったです。
でもボックス棟の部室で『アカギ』を読んでいたとき、頭の中で「じゃあ、おまえはどうだ?おまえが仮に父親になったとして、それと同じ義務を果たせるのか?」と問いかけられ、言葉に詰まりました。社会に出て行くことはどういうことか、社会で働くというのはどういうことか、わかってるようでまるでわかってないこと、いや、そもそも、わかるとかわからんとかの問題以前に、あまりに常識だと思っていたことが実はとても難しいものだったということ。ああそうか、と思い至ったのです。
いままで親になるということ、子を持ち育てるということは、人類一般のもっとも根源的な営為であって、そしてそれゆえにとても簡単なことだと思ってきました。だって良い学校出ていなくても高給取りじゃなくても、貴賎に関わらずみんな誰だって、この世界のありとあらゆる親はみんなやってるし。みんな家族作ってうまい具合にやってるし。そう思ってきました。でも、それは、実は間違いでした。おれの認識不足でした。社会が恐ろしいということ。大人は恐ろしいということ。他人は恐ろしいということ。人はとてもとても恐ろしいものだということ。
ひょっとしたら、おれの父親は、そういった恐ろしいものたちと必死にいままで闘ってきたのじゃないだろうか?おれを育てるために、家族を食べさせるために、そういった化け物たちと必死で闘ってきたのじゃなかろうか?そして、それと同じことを果たしておれはできるのだろうか?
・・・そう思って、わたしは、本気で自分の父親のことを尊敬するようになりました。そのときおれは、神のピンク色の光線を浴びていたのか、広大にして能動的な生ける情報システムからの電波を受信していたのか、それはわからないし、わかったところで別にどうでもいいけど、とはいえ、それがおれのVALISであり、おれの神様です。おれにそのことを気づかせてくれた。わたしは、そのことにほんとうに感謝しています。


こわい人がやさしい人で
やさしい人はこわい人
それでもやっぱりこわい人はこわい人
そうするとやさしい人はやさしい人だろうか

それはだれにもわからない
人がビルをつくり つくられたビルが人をつくるから

わたしはカギがほしい
ほんとうのことを見つけるカギを

(楳図かずお 『おろち』より)
 



ほんとうのことを見つけるカギ、偏在するVALIS ・・・確かなことは、普通なことほどあまりに難しく、あまりに尊すぎるということ。わたしはそう思います。だから、感謝しなくちゃいけない。VALISに対してでなく、わたしの親たちに。そして、この世界のありとあらゆる子の親たちに。感謝しなくちゃいけないです。真剣にそう思います。




・・・最後にアニメ『化物語』について。
2009年を代表するヒットアニメでしたが、一方でそのライトノベル気質まる出しの痛さ全開でアニメ業界のドラマツルギーのもろもろの限界を超えられなかったことに対する批判はいくらでもできるし、個人的にもアララギ暦を中心としたご都合主義的な展開はムカつくし、正直あの物語から現実を戦い生き抜いていく意義が見出せるのかというと、わたしは皆無に近いと思います。そのくらいあの物語の根幹にあるドラマツルギーはあまりにも安易で、幼稚だと思います。明け透けなビルドゥングス・ロマンが倦厭される風潮だというのも理解できるし、だからこその逆手にとったアダルト・ゲーム・マナーの『スクール・デイズ』エピゴーネンを敢えてやってるんだ、という反駁はあるとしても。それにしても。あまりにも。中身がない。
・・・でもまあそういうネガティヴな批判はここでは置いておいて、あのアニメの良かった部分を挙げるなら、わたしはテレビ版最終回のアララギくんとひたぎのお父さんの会話が、すごい好きです。

「きみはひたぎと仲良くしてくれて、彼女の病気も治してくれた。それはすごいことなんだよ」と言うひたぎの父に対して、「いや、ぼくは当たり前のことをやったまでですから。普通のことをしたまでですから」と謙遜するアララギに、ひたぎの父は、いや、違うんだと。きみは誰に言われたわけでもないのにひたぎと関わり合いになることを選び、ひたぎの抱える問題を共有し、それを助けようと努力したじゃないかと。彼女を救おうと努力したこと、それがきみの価値なんだと。

わたしはこの会話のくだり、すごい好きです。言葉にしてみれば普通のことかもしれない、でもそれをやったことがきみの価値なんだと。裏を返せば、とりたてて特別なことではない、普通のことをやることこそがもっとも尊いのだ、という、オッカムの剃刀が如き根源的認識論へのアクロバティックな転回。

これは、素晴らしいロジックだと思います。ライトノベル特有の軽佻浮薄さ、現実に対する超越的な解決策しか示すことのない脆弱さ、それを勘案しても、この結論を導き出したことは評価していいと真剣に思います。また、この結論は、『化物語』がライトノベルやセカイ系のエクリチュールから逃れられていないということ、むしろそれを意図的に踏襲していることを考慮するとその異質性が逆に際立つという、入れ子状の実に革新的なテーゼを含んでもいます。即ち、何か取り立てて特別な出来事、取り立てて特別な能力、取り立てて特別なガジェットを用意しなければ成立しないセカイ系のシステムをこの論理は否定するからです。この論理が言明するのは、「アララギ君の価値、人間の価値を決定するのはそんなものではなく、人間として当たり前のことだとアララギ君が考えるようなことを実践できるかどうかである」ということに他ならないからです。この壮絶な自己矛盾を抱えている意味で、『化物語』の構造はある意味で破綻しているのですが、これを意図的にやっていたとしたら結構すごいです。西尾維新さんはユリイカ増刊号を読んでみたらグレッグ・イーガンに対する理解があまりに貧弱で、やっぱりなーーーと思ってしまったからあまり信用はしていないけれども、まぁそれは置いといて。



人間として当たり前のこと、取り立てて特別なことでもない、普通のこと。
それをやるのが実はいちばん困難であるということ。
『化物語』のテレビ版最終回のあのくだりがそれを指していたのだとしたら、それはおそらく、ほんとうのことを見つけるカギ、あなたのVALISとして意義を持つことでしょう。

そうだと良いと思います。


PR
Comment
name 
title 
color 
mail 
URL
comment 
pass    Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
08 2017/09 10
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
Twitter
junkie uses Twitter

最新コメント
[09/20 Sarah Carlson]
[09/15 nike kaishi size 5 5]
[08/27 Sarah Carlson]
[08/12 Ann Weaver]
[07/13 Ann Weaver]
最新トラックバック
(12/18)
バーコード
プロフィール
HN:
junkie
性別:
男性
自己紹介:
島根県のハードコアバンド、ヤンキー少女改め、SOFT、改め爽やかJ-POPデスメタルバンドPOSTOVOIのギター・ボーカルです。

バンドとは別にソロプロジェクトとして、チップチューン・デス・メタルを追求するF.O.D(Fuck or Die)をはじめました。MySpace

メールはこちら
ブログ内検索
カウンター
カウンター
最近のお気に入り
FLEETWOOD MAC "MR. WONDERFUL"


EARTH "EARTH 2 -SPECIAL LOW FREQUENCY VERSION-"


FLEETWOOD MAC "LIVE IN BOSTON REMASTERED VOLUME ONE"


FLEETWOOD MAC "LIVE IN BOSTON REMASTERED VOLUME TWO"


BLUE CHEER "VINCEBUS ERUPTUM"


MELVINS "LYSOL"


SIGH "GALLOWS GALLERY"



伊東美和 「ゾンビ映画大事典」



「悪魔のいけにえ」


「バッド・テイスト」


「愛のむきだし」


「マーターズ」
忍者アナライズ
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]