島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
驟雨に包まれた海辺の沼沢地がおれには地獄の辺土に見えた。ビニール・シートの天蓋は風に煽られればたちまちバッファアンダーランエラーに陥り、その過負荷を地上2メートル分の加速度が乗算された雨水に変換して地面に出力して、そしてヌカルミでできたフロアはパブリック・アドレスの絨毯爆撃がレア社謹製のスーパー・ドンキー・コング式スプライトの大群の魂或いはコーディングされざるその他すべてのものを電子の箔押し加工で浮き彫りにするたびに尊敬措く能わざるポロロッカに見舞われては極小のブロブ片を空間に射出した。オープニング・アクトのどうでもいいジョバーを横目でやり過ごすにはいつもなぜか卓抜したテクニックが必要とされるから、おれはシオドア・スタージョンの「マエストロを殺せ」(柳下毅一郎訳)を読み進めることにして、醜いフルークが謀殺したラッチ・クロウフォードの残響にパワー・アンビエントされ徐々に緩やかにジョン・ゾーン式コブラ・ゲームの棋譜に踊る微分方程式並みの厳正さで発狂していくマジック・リアリズムがなぜかおれの現実にシンコペートしてきてそれは心地よい細切れのアナログ・ディレイのように虚構と現実の懸隔を双方向的に浸食し重大な精神汚染をもたらす。スキッドが弾いていたのはおそらく、周囲24フレット分とあとその先の人生数十年分に壊滅的な打撃をもたらす真に魔術的なファズ・ギターであり、だからこれはノルウェーのデス・メタル・バンドの小説でもよかったしベオグラードのスラムでライバッハのブートレグを聴きながら発狂するムスリムの少年の儚くも妙なるモンタージュでもよかったし、或いは雨の松江のライヴ会場でスタージョンを読みながら無聊をかこつコミュニケーション障害の27歳のおれに降りかかるそのあとの或いはもっとあとの数奇な運命を象る何かであってもよかった。とにかく、おれはおれのビアンカの手が現れるのを待っていた。おれのデス・クリムゾンが、おれの四八(仮)が、おれの超光戦士シャンゼリオンが現れるのを待っていた。それはこの瞬間でなくても或いはそのあと或いはそのまえ或いはそのどちらでもない謎の余剰次元におけるまだ見ぬ邂逅であり、そしてそれはやはりそのときではないはずだったし実際にそうだった。うみのてのライヴが始まった。いつもならDJブースに喜捨されるはずのサブ・ステージがたちまちシールドのスパゲッティで埋め尽くされ、リゼルグ酸ジエチルアミドのグリーン・マナリシがアラモゴルド砂漠に刻まれた巨大なペンタグラムに降臨しB17爆撃機のレギオンを核実験のクレーター上にフルメタルの星座としてバンプ・マッピングするに吝かでない状況が現出する。フェンダー・ジャパンのパステル・カラーのジャズ・マスターは2段直結回路のダーリントン接続でエレクトリック・レディ・ランドのウォッチ・タワーへとたちまちバッド・トリップして頭蓋骨を叩き割る。ラッチ・クロウフォードの残響を電光火花の彼方に垣間見る。光あれ。ディギン・イン・ザ・カーツ。クラークスデール空軍基地でサーキットされたE3のマイクロソフト・ブースでジョーズ・アンリーシュトをはじめてプレイした人たちの気分はたぶん、日本版ローカライズ「ブリー」が800円でディスカウントされている島根のバイブル・ベルトでもきっと、ミッドウェイ・ゲームズのあの邪悪なフェイタリティのグラフィック・アートに忠実にハイウエスト・ニーレングス・インバーティド・プリーツ・スカートで武装した女の子を鋼鉄のソーセージ・スタッファーへと送り込んで切り刻むときですら確実に、きっと確実に、こんな感じでイカレていたのだろう。おれは或いは彼が或いは彼女が或いはその他すべての脳が腐りかけた小心翼々のサタニストたちはみな、寄木細工のアフロ・フューチャリズムが網膜に直接ベクタスキャンするケン・ケリーのマノウォーのジャケット・アートのオイル・ペインティングが如き16ビットのソーフィヤ・セミョーノヴナの下腹部のアルビノの皮膚に欲情して地面に激突してバラバラになる。おれたちはいつもそれが何かとても価値のあるものだと思いたくて、価値のあるものを価値のあるものだと思うおれたちを価値のあるものだと思いたくて、緩やかにオーバードーズし気付いたときにはもう脳ミソがスキャナーズ爆発を起こして粉々に飛び散ってウィーン・アクショニズムで描いたアルタミラ壁画のクローンとして永遠になる。ライヴが終わる。永遠になったおれたちはもう永遠ではない。永遠ではなくてここは邪知甘寧に満ちた死の世界。永遠はない。終わりはない。見えない敵が我々を攻撃する。OBEY, CONSUME, MARRY & REPRODUCE. おれはロディ・パイパーを見つける必要があった。即効性のイデオローグを、陰謀論に跪拝するためのデザイナーズ・ドラッグを、オールトの渦状雲で覆われた電離層にたゆたうソーフィヤ・セミョーノヴナを、おれは見つけ出さねばならなかった。存在しない女。物販で高野京介から手売りでCDを2枚買った。いま手元にはそのときに買ったうみのての「イン・レインボー・トーキョー」(メンバー全員のサイン入り)と、高野京介と1997年の「The End of Youth」がある。ライヴが終わっておれたちはつけ麺を食べて家路について次の日には普段通り仕事をしていた。もう永遠ではなくなっていたから大量のドレーン・チューブを内臓に接続して時空間をネジ曲げようとする不毛な術策を弄することもなかった。フルークとラッチ・クロウフォードの物語はその次の日くらいに終わりを迎えた。暗黒の物語。存在しない女。ビアンカの手、もはやMZ700のポンチ絵と化したソーフィヤ・セミョーノヴナ(であったものの四散した残骸)。農奴解放時代に既にENIACが稼働し、ドストエフスキーがATARI2600をプレイしていたなら、我々はいまごろゆみみミックスのエミュレーションにMODされ電子のカケラになって消えていた。存在しない世界。そうであったはずの世界。高野京介と1997年はスーパーコンボドライヴ(たぶん台湾製)でオン・ザ・フライ書き込みされたバルク品のCD-R(スタック・リングには日立マクセルのロットが刻まれている。きっと中国製)で、人体を油圧サーボアクチュエータで緩やかに確実に死に追いやるときのシーク・ノイズで水晶振動子に焼き尽くされワウフラッターでブランク・スレートを汚染した。存在しない女。高野京介がハイスコアガールのTシャツを着ていたことを思い出した。「おれたちはかつて二次元の住人だった。だから二次元の女しか愛せないのだ」「なるへそ~」「どんなに醜くても、それがおれたちの生きた証だ」この一連のシークエンスで押切蓮介は伝説になった。
「似たようなやつらと何かしでかそうと/大人になってもバカでいようねと/このコード進行が何かのパクリでも/このコード進行がくるりのパクリでも/それでもぼくは/それでもぼくは/おれがロックマン/おれはロックマン/おれがロックマン/おれが」
フルーク、ああフルーク。
おれはもう一度永遠になって、そして、またもとの生活へと戻っていった。
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