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島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
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(以下のような記事を投稿することに若干の心苦しさはある。このエントリーを一読する限り、私はゼロ年代以降突如として隆盛を極めたアイドル文化に懐疑的な人物であるかのように思えるが、それは必ずしも真実ではない。そしてノイズ・ミュージックに対して限りなく否定的な保守反動的な人物であるかのようにも思えるが、それもまた同時に真実ではない。BiSは紆余曲折を経て復活し、BiSHは異形のアイドルとしての衣鉢を継ぎ、優れたアイドル・ソングを発表し続けている。非常階段についても、彼らの常に実験的で先進的な存在たらんとするスタンスには敬意を表したい。ただ、そうした思いとは裏腹に、いまのシーンに対する曰く言い難い違和感が抑えようもないこともまた、否定しようのない厳然たる事実である。この文化はうまく機能しているように思える。アーティストもリスナーもパブリッシャーも、全てがハッピーなように思える。一体どこに問題があるというのか?それに対する私の(BiSやBiSHを愛聴する私ではない第二の私の)見解はこうだ。なるほど彼らは(我々は)寸毫の隙もなくハッピーだ。でもそれは表面的な偽りの幸せだ。我々はこの文化の中で、まるでブリューゲルの絵画の登場人物のようだ。これは偽りだ。これは明白な虚構だ。ここには何か、悪しきミス・ディレクションがある。我々はここにおいて三位一体の共犯関係めいた何かに加担している。つまり我々は・・・我々は何かを必死に隠そうとしている。こうした違和感を私はなんとか言語化しなければならなかった。以下に綴る辛辣な、しかし時に憐憫に溢れた、実に直情的な文章は、2018年現在のこの国のサブカルチャーに対する私の両義性に満ちた名状しがたい不安定な感情を記録しようとした試みなのだ。)

AmazonプライムでBiSHの曲を数曲ストリーミングする。これと前後してBrand New BiSの楽曲も聴いていたのだが、やはりBiSは何か「場」のようなものであって例え中の人間が入れ替わろうとBiSという場があり続ける限りはそこで作られる音楽はBiS独自の何かであり続けるのではないかというような気がする。とこう書くとなんかポストモダンっぽくてすごい嫌なんだけど、だからと言ってBiSを神格化する必要はどこにもなく、BiSの持つ「場」は堅牢でこそあれ、そこまで称揚する価値があるかというとそんなことは全くない。メジャーなアイドルには満足できないがそこそこ可愛い姉ちゃんがちょっとニッチな音楽を歌って踊っているステージを遠目で腕組んで見ながら自らの境涯を少しでも美化したいおっさんが勝手に興じていればいい。ただそれだけのものだ。BiSの持つ「場」はBiSHには作り出せない。でもBiSだってそんなに褒められたものではない。BiSはBiSであってそれ以上でも以下でもない。つまりはそういうことだ。私は若い頃の自分の思い出としてBiSに対してそれなりに思うところはあるが、他の人にとってそれがそこまでの価値を持つものだとは思わない。少し嫌な言い方になってしまったし自分だけ傍目八目を決め込むのもフェアじゃないとは思うが、でも多分みんなBiSにワーキャー言ってた一方でやっぱり心のどこかでは違和感があったのではないかと思う。特に私のようにアイドルについては門外漢ではあってもディスクユニオンの新宿エリアを休日ひねもす彷徨しては90年代のインディー・ロックをスナイプすることに血道を上げるような典型的なギークにあっては、なおさら。もっと言えばその違和感はかの大名盤「BiS階段」でも完全に解消されたわけではないのだ。あのアルバムもみんな褒めているし私も愛聴してはいるが、結局はアイドルソングをCDで流している横でJCからメタゾネだのソーダメイザーだのを直列カスケードしただけのとてつもなく頭の悪いペダル・チェインで作った誰にでも出せるディストーション・ノイズを垂れ流して悦に浸っている還暦間近のビートたけし気取りのおっさん(JOJO広重)のマスターベーション以上の何かがあると言われれば、実は、全然ない・・・。ただあの録音で奇跡的だったのは、非常階段の音楽がはっきり言ってキング・オブ・ノイズだとか言って鼓吹するほどの価値もないペラペラの音の塊でしかなかったことを再発見すると同時に、そのゴミのようなノイズに侵食されながらBiSの楽曲のクオリティはオルタナティヴ・ロックに散々振り回されて人生を棒にふる一歩手前のまるでクリトリック・リスの「桐島」と化しつつあるおっさんが作ったおっさんによるおっさんのための痛々しい自己憐憫の域を全く出ないものではあれ、だからこそ、それゆえに、そうして90年代を過ごしていつの間にか人生の終着地点にたどり着いてしまった因果な人々の一つの青春の記録として万感胸に迫るものであったということだった。だからあのアルバムの主役はBiSではなく、非常階段でもなく、90年代という時代から今だに卒業できない全ての「桐島」たちだったのだ。だからBiSの音楽そのものが何かロック史に残るとんでもないパンテオンだなどとはまるで思わないし、「BiS階段」ですら10年後も相変わらず世界に生産されているであろう(そして惨めな、報われない毎日を送るであろう)第二の「桐島」たちが改めて省みるほどの価値があるとは間違っても思わない。そうしてBiSに対して屈折した思いを抱えていたからこそ、BiSHにはどこか期待するものがなかったわけではない。BiSではついに得られなかった音楽的な満足を今度こそ、という思いがまるでなかったわけではない。でもやっている音楽はほとんどBiSと見分けがつかない上にオルタナティヴ・ロックの劣化コピーであるBiSの更にクローンなのでアイデンティティがより希薄になってしまっているというか・・・。まあそれだって「桐島」にとっては十分なものかもしれない。でもそれで本当にいいのだろうか?今、この国では長い雌伏の時を経て冬眠から覚めた掃いて捨てるほどの「桐島」たちが群れをなしてライヴハウスに出没しては、こういうマイナー・アイドルに大枚を投資してしたり顔でのさばっている。大声でMIXを唱和する。サイリウムを振っている。物販でノベルティを山のように買う。この状況が本当に好ましいことか?いまのアイドル・ソングがかつてとは比べ物にならないほど多様性に富んでいることはわかる。でも、だからなんだ?結局「桐島」たちは何に夢中になっているんだ?これはもはや修辞疑問である。答えはもう出ている。「BiS階段」が世に問われたその瞬間に答えは、「桐島」たちに対する最後通告はすでにもたらされていたのだ。こんなに残酷なことがあるだろうか?「桐島」たちの末路がこんな形になるとは夢にも思わなかった。これは大いなる歴史の皮肉だ。資本主義が嫌だった。大人が嫌だった。でもここで行われていることは社会の完全なミニチュアだ。結局、革命は行われなかった。世界は何も変わらなかった。みんなもっと早く夢から醒めるべきだった。でももう戻れない。もう遅過ぎるのだ。
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自己紹介:
島根県のハードコアバンド、ヤンキー少女改め、SOFT、改め爽やかJ-POPデスメタルバンドPOSTOVOIのギター・ボーカルです。

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