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島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
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音楽業界ってウソだよな!・・・なんて、中学生みたいなことはいまさら言わないが、たまに言いたくなるときってあるよね。懐に茶封筒、福沢諭吉のブロック、ヤクザと芸能舎弟、そしてその盲信者たち、献金者たち。ディストリビューターたちとそのマーケットはみんな胡散臭いが、音楽というものを趣味にしていれば必ず何度も、何度も何度も、彼らは我々の前に立ちはだかり金を巻き上げていく。


ディストリビューターと呼ばれる中間搾取団体が幅を利かせている最大の理由は、個々のミュージシャンが自営業主として相応の利益を得ようとしているからだ。音楽によって商売しようとする奴らが消え去らない限り、ディストリビューターというハイエナも消えることはない。
人並みの生活が出来る程度のアガリを音楽産業で得るためにはそれなりのプロモーションや物理輸送コストが必要になるし、ダウンロード・ミュージックのマーケットにおいてもそれを事業にしようと思えばかなりのネットワークが必要になる。ディストリビューターはその広域で巨大なネットワークの使用を許す代わりに、ショバ代として莫大なマージンを天引いていく。これが今日の「音楽産業」の基本的な構造だ。だからゴミのような音楽でも奇跡のようなレコードでも等しくディストリビューターはアガリを取ろうとするし、そのために販促ツールである音楽ジャーナリズムを駆使してアジテートする。玉石混淆のラインナップの中からタダでそれを選別することが許されないのが悩ましいところだが、しかし、仕方のないことだ。それが音楽産業の「産業」たる所以なのであり、それが商売というものなのだから。

もちろん、いかにも「売らんかな」、という、商魂たくましいヤクザの芸能舎弟丸出しの人々を糾弾することなどできないし、許されるはずもない、と思う。いいじゃないか、商売でやっているんだから。要はそういうコノテーションを感じ取れるかどうかの感受性の問題であって、それでババをつかまされても責められるべきはコンシューマーだ。粗製乱造が過ぎるのも問題だが、要はそれでコンシューマー自らが学習すればいいだけの話だ。だからいかにも「商売です。」と割り切って音楽を売っているひとたちを責めるのはお門違いだ。買いたくなければ買わなければいいだけの話だ。


最も悪質なのは他にいる。タチが悪いのはいかにも「オルタナティヴです。」という人畜無害な顔をして商魂を秘匿してにじり寄ってくるとんでもないバカ者どもであり、ほんとうの意味で責められるべきは「音楽産業なんか間違ってる!」と自分のことは棚に上げてお題目だけ詠唱してそのくせ金はしっかりととる、厚顔無恥なゴミクズどもの方なのだ。「世の中間違ってる!商売人ばっかりだ!」とこれ見よがしに嘆息し、「でもおれは違うよ」と自己アピールし、しっかりと正規のレートで商売しているアホどもだ。こういうのは世間一般では「詐欺師」と言うが、詐欺師は簡単に識別できないから詐欺師なのであり、そしてだからこそ醜悪だ。
ロックがどうの、コマーシャルがどうの、資本主義がどうの、と言いながらちゃっかりと高いCDを売りつけて「君に感受性(センス)があるなら、これ買うよね?w え?w 買わねぇのw センスねぇw うぇwwwwww」とコンシューマーを玩弄するゴミのような奴ら、クソのようなロック・バンドを死ぬほど見てきたが、そういうウンコどもは雨後の筍のように次から次へとわいて出てくる。もういい加減にしてほしい。責めて「商売やってま~す!!!」とか、「今日はいつもより多めに回しております!!!」とか開き直って商売してくれたら良いのだが、詐欺師どもは「商売なんて汚いよね。でもぼくらの音楽は違うよ!」と善人面して毒にも薬にもならない乳繰り合いの歌を高額で売りつけるからほんとに始末が悪い。こういうゴミどもは一人残らず粛清されるべきだが、誰が何を嗜もうが価値観は相対的なのだから、残念ながらそうした詐欺師どもとその音楽を嗜むバカどもをまとめてガス室に送り込むことはできない。ほんとうに残念だ。ほんとうに。

 


ところで、グランジが勃興した90年代、それは実はメタルの一種としてこの国に輸入された。「Nevermind」の日本盤のイニシャル・プレスの帯に『メタリカも、ダイナソーJr.も認めた』としっかりと書かれていたのは有名な話だ。グランジとはオルタナティヴではなく、本来は「グランジ・メタル」だったのだ。SSTのカタログの日本盤は存在すらしていなかったから、オルタナティヴに関するソースを日本のコンシューマーたちが知る術は限られていた。彼らには何故SSTやサブ・ポップの連中がこぞってNWOBHMやドゥーム・ロックを好んでいるのか、恐らく理解できなかったのに違いない。否、わかっている人にはわかっていた。しかし、オピニオン・リーダーとなったのはグランジのオーガニックでハード・ロックでヘヴィ・メタルな部分を理解することなく、そのリバイバリズムとクロス・オーバーの部分だけを賞賛した連中だった。だからというわけではないが、この国でグランジが流行ることはついぞなかった。持てはやされたのはロッキング・オンの表紙を飾りフジロックに出るようなバンドだった。グランジの後景にあったはずのブラック・サバスでブルー・オイスター・カルトな要素はことごとく駆逐され、なかったことにされた。


そうした歴史修正と妙なバイアスが加えられた結果、「詐欺師」たちはこれ以上ないカモを手に入れることに成功した。商売っ気丸出しの音楽に辟易としながら、それでいて何かに献金せずにはおれない重度の思考停止人間たち、資本主義のダッチワイフたちに、「商売っ気がなく、それでいてしっかりと献金できる装置」を売りつけた。インディーズでしっかりとライブ活動を行い、ライブハウスで一定の支持を得てメジャー契約を勝ち取った叩き上げのバンド、もしくは作詞作曲を外注せずに自分の名前をクレジットしているSSWならば何でもオルタナティヴだ、という幻想。それは商売人たちに献金している、という罪悪感を感じさせることなく自らの献金行為を神格化してくれる存在であり、思考停止人間たちの常用ドラッグとなった。


さて、日本ではグランジが流行らなかったが、その代わりに90年代の後半にグランジの衣装を着てオルタナティヴの理論武装をした完全なアイドル・ミュージックがバカ売れした。椎名林檎の「勝訴ストリップ」が200万枚も売れたのだ。こうしてマーケットとシステムは完成し、「詐欺師」たちの時代がはじまった。

 


詐欺師たちは詭弁の達人だけれど、もっとも愚かなのはそれに易々と献金するコンシューマーたちだ。「ロッキング・オンが誉めている」、「フジロックに呼ばれた」、この2つのうち1つでもチェックが付けば彼らは確実に献金する。ロッキング・オンはその扇情的なレビューでしっかりと仮想敵も準備してくれるから、もはや献金行為は邪教を駆逐する崇高なる一神教へのお布施となる。詐欺師たちはそれらの要素をたくみに利用してコンシューマーたちから金を巻き上げる。やつらが新しいアルバムを出す。プレスは一斉に誉める。どれもこれも似たような文章だ。そんなこととは別に、信者たちは勝手にお金を落としていってくれる。何万字インタビューとでもなれば、彼らは確実に何かに対して攻撃的な口調でしゃべる。ただし、自分たちのカモは絶対に批判しない。代わりに「おれと手を組もうぜ」、とささやきかける。信者はとうぜんその雑誌も買うし、雑誌の広告欄には同業他者バンドのカタログが腐るほど載っている。信者はとうぜんそれにも金を払う。そしてそいつらにも入信する。ボロい商売だ。


でも、ほんとうの詐欺師たちはバンド自身ではなく、レコード会社のほうかもしれないし、ペン先三寸で生殺与奪をコントロールできるロッキング・オンのほうかもしれない。なぜなら、信者たちが飽きればバンドは捨てられていくからだ。音楽産業で儲かるのは一にも二にも中間搾取のディストリビューターたちであり、末端の商品であるバンドは使い捨てだ。ほんとうにかわいそうなのはオモチャにされ担ぎ出され、そして使い捨てられるバンドのほうなのかもしれない。
 

 

 


この倍音sの「DEN」は、おそらく日本音楽史というか人類の音楽史の根底を覆すような、とんでもない大名盤であり、本来ならば国の重要文化財に指定され原盤が永久保存されるべき凄まじい音楽界の遺産であり、だからこそ多くの人に聴かれねばならない壮絶な傑作なのだが、しかし、わたしはこの国の音楽ジャーナリズムがこの作品に言及したところを、未だかつて見たことも聴いたこともない。死ぬほどどうでもいいバンドがウンコのようなアルバムを臭え肛門から垂れ流すたびに名盤だの何だのバカの一つ覚えのように連呼している「プロフェッショナル」な評論家の方々がなぜこのような何億年に一度というホーキング宇宙論的な規模で凄まじく超絶な名盤を無視しておられるのか、わたしにはまったくもってよくわからない。しょうもない乳繰り合いの歌やチャイルド・ポルノ同然の鬼畜な性的嗜好を精一杯オブラートで包んで善人面しているクラミジアどものクソ曲が「オルタナティヴ」な方々から惜しみない拍手を送られているのに、なぜこの「DEN」に収録されている「風吹き荒ぶ」という凄まじい楽曲が無視されつづけているのか、わたしにはまったくもってよくわからない。
 
その昔 我の生まれたるところ
少年院の内にありけり
鉄条網に囲まれし深き森のうちに
家族とともに暮らし候
その土地に森羅万象の音色が
響きたまへ
風吹き荒ぶその森に
凍てつく音が響きたる
 


内容に関してはあえて説明するなら、ホーメイ(ホーミー)と能と古今東西の民族楽器を駆使して構築されたナスカの地上絵の如き壮絶なる曼荼羅地獄絵図、とでも言うべきか。「DEN」を聴けばたちどころに理解するはずだ。真の「ヘヴィ」とはスタック・アンプを積み上げることでも朗々とフィードバックを垂れ流すことでもなく、アンプラグドの打楽器と人声のシンコペーションでありポリリズムであり、そしてその永劫の無限ループなのだということを。

日本音楽史の頂点に永遠に君臨し、燦然と輝きつづけるであろう究極の名盤。もっと多くの人に聴いてほしい。
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自己紹介:
島根県のハードコアバンド、ヤンキー少女改め、SOFT、改め爽やかJ-POPデスメタルバンドPOSTOVOIのギター・ボーカルです。

バンドとは別にソロプロジェクトとして、チップチューン・デス・メタルを追求するF.O.D(Fuck or Die)をはじめました。MySpace

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