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島根県のハードコアパンクバンド、ヤンキー少女、改めSOFT、改めストーナーロックバンドPOSTOVOIのボーカルjunkieの公式ブログ!!!
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「ヒストリー・オブ・バイオレンス」鑑賞。

原作はイタリアン・マフィアの極悪非道ぶりに材を得た復讐劇で、バイオレンス描写満載のアメリカン・コミック(グラフィック・ノベル)。監督はカナダが産んだ「変態」デヴィッド・クローネンバーグだ。手足を切断し顔を焼く拷問!電気ドリルで腿を突き刺す!!唸りを上げるチェーンソー!!!マフィアとの宿世の死闘が織り成す狂気の大残酷の数々を、クローネンバーグなら懇切丁寧に映像化してくれるに違いない!
・・・と思ったらぜんぜん違いましたー。ジョン・カサヴェテス監督のインディペンデント映画のような、というより楳図かずおの「イアラ短編シリーズ」のような、壮絶な心理劇を主軸にした家族ドラマでビックリ!!!上に挙げた残酷描写はまったくありませんでしたー。テレビの前でズッコケた!!!

(以下の文章にはネタバレを含みます!未見の方はご注意ください!!!)


まず第一の疑問は、32億円ものバジェットをいったいどこに使ったんだ?という点だ。映画は全長96分。登場人物も比較的少なく、場面は総てスタジオ撮りや大規模なモブシーンも必要ない普通のロケーションで充分だし、そもそも爆発シーンもなければCGも一切使っていない。強いて挙げるならば特殊メイクのクオリティが高く、恐らくKNBエフェクトなどのトップクラスの工房に発注しているのではないか、という点だがそれだけに何十億も使ったはずがない。
とすると考えられるのが、DCコミックスの版権ロイヤルティが「ロード・トゥ・パーディション」「バットマン ビギンズ」「ダークナイト」などの映画化で軒並み高騰しているのではないか、という点。ハリウッドはいまサム・ライミの「スパイダーマン」トリロジーに端を発した空前のアメリカン・コミック・ブーム。「ダークナイト」で作品としての正当な評価を獲得、更にはザック・スナイダーがアラン・ムーアの「ウォッチメン」を映画化したことで脱構築(デコンストラクション)の段階にまで歩を進め、もはやムーブメントのサイクルが一巡した感があり、爛熟期を迎えている。バイヤーに対してステークホルダーが値を吊り上げようとするのも必定だ。
そしてもうひとつが、俳優たちのギャラに消えたのではないだろうか?という点。出演者はヴィゴ・モーテンセン、マリア・ヴェロ、エド・ハリス、ウィリアム・ハート。マリア・ヴェロは置いておくとしても「ロード・オブ・ザ・リング」でブレイクしたヴィゴ・モーテンセン、もはやベテランの域に達したエド・ハリスとウィリアム・ハートといった実力派を揃えたそれなりのキャスト。たぶんこの3人のギャラだけで10億円は使ったんじゃないだろうか(でもウィリアム・ハートなんて最後の10分しか出てこないんだけど)。


しかし最大の疑問はやはり、なぜクローネンバーグはこの企画を演技派俳優のバストアップのカットが映画の大半を占める会話劇に改変してしまったのか?、という点だ。原作はタイトル通り極道に生きる者たちの情け容赦ない「バイオレンス」を主軸に展開される、平田弘史の「大地獄城(復讐・つんではくずし)」のような壮絶な因果応報の物語。背筋も凍るバイオレンス描写が満載、徹頭徹尾ハードボイルドなアウラで満ち満ちたクライム・サスペンスだ。その映画化に当たって出演者にはいまが旬のヴィゴ・モーテンセン、ベテランのエド・ハリス、ウィリアム・ハートが脇を固め、監督にはデヴィッド・クローネンバーグを招聘した。クローネンバーグは残酷描写、バイオレンス描写に定評のある通好みの監督。これで映画史に残るバイオレンス活劇、過激なフィルム・ノワールが完成するに違いない!誰もがそう思ったはずだ。
でも完成したのはアメリカの中流家庭のごく普通の生活の中に、一片の暴力という非日常が混入したことで巻き起こる家族の葛藤の物語だった。そこにあったのはアドレナリンとリビドーをかき立てる猟奇的な描写などではなく、小市民たちの愁嘆場を軸とした至って庶民的なドラマツルギーだったのだ。
なぜクローネンバーグのような変態が、こんなに普通な、否、一風変わったインディペンデント映画のような小品を作ってしまったのか?原作のエッセンスを継承し、原作ファンにもアピールするようなバイオレンス描写ももちろん、あるにはある。ヴィゴ・モーテンセンの経営するダイナーにやってくる強盗スティーヴン・マクハーティの頭を撃ち抜いたときのトム・サヴィーニもかくや、という壮絶な特殊メイクは素晴らしい(スティーヴン・マクハーティは小さな役だったが、冒頭の長い会話シークェンスではじまりこの凄惨なゴアシーンに終わる実においしい脇役で、血も涙もない外道を演じ切り鮮烈な印象を残した)。しかし、物語終盤の見せ場であるマフィアとの大立ち回りは実に呆気なく、また製作者の一片の「やる気」も汲み取ることができない、別の意味で凄まじいシークェンスとなった。償いに死を要求するウィリアム・ハート、すると間髪入れず舎弟がヴィゴの首に糸を巻き付ける、しかしヴィゴは天才的な閃きでその危急を脱すると鮮やかにマフィアたちを次々と駆逐していくのだった!その光景を眺めて怒りを通り越して呆れるウィリアム・ハートはヴィゴの抹殺に失敗した部下を一喝する。「どうやったら失敗できるんだよッ!」
ほんとだよ!
と叫んだのはわたしだけではないはずだ。
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」におけるアクション・シーンは決して冗長でも緩慢でもなく、むしろリアリズムに溢れた殺人シーンでさえあるが、映像はスタイリッシュではないし、どこか気が抜けてピントがズレている。この「どうやったら失敗できるんだよ!」のくだりで恐らく原作ファンは激怒したのではないだろうか。それくらいにやる気が感じられない。
マフィアの総本山に乗り込んでいくこのクライマックスは原作では、まさに猟奇と残酷のアマルガメイションとでも言うべき凄まじいスプラッターをもって描写しているが、映画ではそんなゴアシーンは微塵もなく、リアルだがどこか気が抜けた殺人シーンに終始する。
原作の凄まじいバイオレンスとスプラッターを期待した原作ファンにとっては実に消化不良な映画化となってしまったわけだ。


だが、クローネンバーグがこうした「肩透かし」を作ってしまった理由には心当たりがある。

原作にはこんなセリフがある。ヴィゴ・モーテンセンが映画で演じた主人公トム・マッケンナ(映画ではトム・ストール)は作中、忍び寄るマフィアの魔手から自分たちを警察が護ってくれないことを知ったとき、こう呟くのだ。

「もう誰も頼れない。自分たちで何とかするしかないんだ」

トムの妻エディはこうも言う。「連中が何者かは知らないけど、絶対に負けやしないわ。必ず耐え抜いてみせる」

原作では強盗を撃退しマフィアの襲撃からも家族を護ったトムの行為を英雄視するファンレターさえ届く。「マッケンナさん、私はずっとこの国を元通りにするには、ああいった連中を撃ち殺すに限ると考えていました

つまり、トムとマフィアとの戦いとは911以降のブッシュ政権下のアメリカが標榜した「テロとの戦い」そのものなのだ。原作ではトムの妻子はトムの行動を正当化する。「パパはヒーローだ!」そればかりか、息子は「マフィアの金を強奪するなんて、パパカッコイイ!!」とまで言う。これはファルージャとアグブレイブの実態によってアメリカ軍の悪行が暴露される直前まで続いたアメリカの翼賛体制におけるアメリカ国民のメンタリティそのものだ。テロリストを殺せ!この世界を元通りにするには、ああいった連中は撃ち殺すに限る。
このメンタリティはそもそもは西部開拓期に醸成された極端な自衛概念だ。「もう誰も頼れない。自分たちで何とかするしかない」。その自警コミュニティという幻想が肥大化すると最終的に行き着くのは「アメリカこそ唯一の自警国家」という妄言、「アメリカがやることは総て正しい」というキリスト教原理主義、否、アメリカ原理主義だ。「テロとの戦いに絶対に耐えてみせる。正しいのは我々だから、絶対に負けない」。

もし原作を忠実に、一糸乱れず映像化していたなら、どうなっていたか?ヴィゴ・モーテンセンは家族を護るためにマフィアと戦う「アメリカン・ヒーロー」で、家族も最初こそ戸惑っていたが次第に彼を理解し彼に翼賛する。バイオレンス溢れる戦闘の果てにパパはマフィアとの戦いに勝利し平穏が訪れ、ハッピーエンド!!!

しかし、クローネンバーグはそうはしなかったのだ。
ヴィゴ・モーテンセンはアメリカの典型的な中流階級の平均的な父親で、隣近所からの人望も厚い男。しかし彼には秘められた過去があった。彼は実は、フィラデルフィアを本拠とするマフィアの殺し屋で、足を洗ってシャバに下野したときにその過去を総て隠滅していたのだった!家族や町の住人たちに見せていたあの良き父親の顔は、作られたものだったのだ!それを知らされたとき家族はいったい何を思うだろうか?いままで善良な父親だと思っていた人間が、怖ろしい血も涙もない殺し屋だったと知ったら?
クローネンバーグはこの家族の葛藤、特に妻エディ(マリア・ヴェロ)の凄まじい感情の変化をバイオレンスそっちのけで執拗に描いた。映画ではマリア・ヴェロとヴィゴ・モーテンセンのセックス・シーンが2回ある(原作では一回もセックス・シーンは登場しない)。前者は「善良な父親とその妻」のコスプレ・セックス、後者は「前科者と彼から逃げ惑う女」のレイプのようなセックスだ。原作には一度もセックス・シーンはないのに、クローネンバーグはそれを2回も描いた。バイオレンスやゴアシーンなどそっちのけで。何故か?「アメリカン・ヒーロー」だと言うと聴こえは良いが結局は単なる人殺しだ。しかも彼は生粋の人殺し、プロの殺し屋だった、しかもそれをずっと隠していた!そのとき家族はどう感じるか?何を思うのか?マフィアから身を護るための正当防衛と言えば聴こえは良いが、それが殺人であることに変わりはないじゃないか!クローネンバーグが描きたかったのはその部分だったのだ。対比的な2回のセックス・シーンはその象徴なのだ。

テロと戦う、というと聴こえは良いがやっていたのは爆弾を落として罪のない市民を大虐殺することだった、しかもそれをずっと隠していた!そのとき国民は何を思うのか?報復だから殺人は正当化されるとでも言うのだろうか?

「ああいう連中は撃ち殺すに限る」、「パパカッコイイ!マフィアをブッ殺してよ!」、そういったことをほんとうに言えるだろうか?人を殺めるということはそんなに単純なことだろうか?西部劇的なメンタリティを盲信した国民、「テロへの報復」を喧伝し彼らを扇動し欺いたチェイニー/ラムズフェルドの8年間への不信感、そして怒り。

クローネンバーグは原作のバイオレンス描写はごっそりオミットし、そのプロットだけを引き継いでまったくオリジナルな、ブッシュ政権下のアメリカ国民の暗愚と共和党の卑劣さを糾弾するプロテスト・ムービーを作り上げたのではないだろうか。だからアクション・シーンもどこか気が抜けて、ともすればショートコントのような作りになっているのだ。その分、頭を撃ち抜いたり殴ったり、というごく普通のアクションがもたらす人体破壊は極めてリアルに徹した描写になっている。
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」とは、そういう映画なのだと思う。

 

ちなみに、この映画は公開されるや評論家から絶賛、賞嘆の声をもって迎えられ、ローリング・ストーン誌の選定する2005年のベスト・トップ10の第1位にも選出された。米アカデミー賞では脚色賞、ウィリアム・ハートが助演賞にノミネート(でもウィリアム・ハートは最後の10分間しか登場しないんだが)、カンヌではパルム・ドールにノミネートされ、ニューヨーク映画批評家協会賞ではウィリアム・ハートとマリア・ヴェロが助演男優賞と助演女優賞をそれぞれ受賞した。ウィリアム・ハートはともかくマリア・ヴェロは四十路を目前にしながらチアリーダーのコスプレでセックス・シーンを演じたり、半ケツ状態でヴィゴ・モーテンセンにレイプされたり、とにかく体当たりの演技でがんばった。タイトルの「A History of Violence」はそのまま「暴力の系譜」と訳しても良いが、「前科持ち」という意味もあるらしい。


個人的な感想を言えばパルム・ドールとか脚色賞は褒め過ぎのような気がする。もう少しひねれば良くなっただろう伸び代がたくさんあるような気がするからだ。採点するなら10点中8点で、帯に短しタスキに長しという感じだ。それでもジョン・カサヴェテスのインディペンデント映画のような70年代の香りのする良い意味で「安い」映画で、その空気が味わえるという意味では佳作と言えるだろう。
ヴィゴ・モーテンセンの幼い娘を演じたハイディ・ヘイズと息子を演じたアシュトン・ホームズが良く、特にハイディ・ヘイズはラストでも大仰過ぎず、しかし実にドラマチックな好演技を見せてくれる。
音楽を担当するのはクローネンバーグとは何作目かのコンビになるハワード・ショア。目立たないが手堅いスコアを聴かせる。

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島根県のハードコアバンド、ヤンキー少女改め、SOFT、改め爽やかJ-POPデスメタルバンドPOSTOVOIのギター・ボーカルです。

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